※好きなひとが、「無条件の愛」について語っていたのを読んで心に浮かんだ、呟きまとめ

※好きなひとが、「無条件の愛」について語っていたのを読んで心に浮かんだ、自アカ(komisokabot2)呟きまとめ


産まれた子供に対して自分のなかに生じた感情、それまでに経験したことの無かったものだった。好きとかそういうのじゃないし、ただ可愛いだけとかじゃない。なんというか、自分自身のように当然守る気持ちに自然となるけれど、自分自身よりも優先して守る気持ちに自然となってしまう

私は自分のこと愛してる、つまり、風邪を引けば早く治りたいと思うし、自分がつらければ、つらくない状態にしたいと思う。それを子供に対してもそういう思いが出てくるが、優先順位が自分の風邪より子供の風邪快癒に、より意識が向かうっていう生まれて初めて感覚

それは今までに知らなかった気持ちだった。自分の身体でたとえれば、自分の身体は考えるまでもなく反射的に守るが、転ぶときに咄嗟に地面に手を付く、その「手」が自分で、手が守ろうとした「頭や胴体」が子供、みたいな。理屈とか意志とか無関係に

でも、自分の身を守るように息をするように子供のことを守ろうとすること=子供を人として尊重すること、ではないかも。イコールじゃない。むしろ、これを同一視してしまうと子供を自分とは違う人間として大切に離す、ということができなくなる

自分の身体の中の一番優先して守るものだ、という生理的な感覚でまずは我が子を守ってきた親が、だけどこの子は、自分とは全く違う個人なのだから、自分の知らないところで幸せになってほしい、というところに到達したら、そこで初めて、無条件の愛は成立すると思う

※子供の性格、人格、人生、それが親の見て好もしいものであるか否かに関わらず、それをナチュラルに尊重できて、それが親のものではなく子供のものであること、を、あまりにも愛着が過ぎると見失いがちだ。
子供を通して、というか、子供を利用して、親自身が自分を承認したりさせたりすることに躍起になることは、子供にとって不幸をもたらす。
今日は、無条件の愛について、私にとって一番身近な存在である、子供のことを考えたけれど、これってあらゆる人間関係に言えることだと思った。