使っていたbot(自動投稿予約)サービスに、twitterのAPI使用がタダではできなくなるっぽいので、botに登録していた言葉を仮に置いておくその2

子は私の知らない人間と仲良くなり、私の知らない音楽を聴いたり私の知らない土地を旅したり私の知らない用語を覚えて仕事したり私の知らないものを味わって笑って報告したりしなかったりしてくれる、これ幸せ
自然界に様々な物質が存在してて、そこでヒトは生きてるけど、その物質との接触摂取がどのくらいの頻度どのくらいの量に達すれば健康にいいのかわるいのか、絶妙なバランスの中で生きてるので…紫外線でも塩分でも適量ってものがあるわけで…いま私が日常浴びてる自然放射線にしてもそうだろうし
三十五歳の少女の望美さんね…あんなにお母さんの「理想を押し付けてくる」ことに反発したのに…自分も周りに理想を押し付けてしまうことになるんだ、哀しいな…人は、世の中は、強さも弱さも併せ持ってしまってるから全か無かでは付き合えないって思い知らされちゃうね
本当。もっと想像力を…。「自分の想像力には限界があるだろうという想像」をして「自分の想像では分からない他人の事情があるであろうことを想像」をみんなができれば良いのにと思う
交通整理のお仕事も、国会議員のお仕事も、傍目には分からない苦労があるだろうし、それぞれが他と比較できない尊い役目があるわけで…。どの仕事が可哀想とか、どの仕事の苦労を代わってやってみるべきとか、そういうものの見方は偏っていると思ってしまう
さっきの話、私の親は自分の思う幸せの形を押し付けるようなことはしなかったが、祖母の考え方には相当問題があり悩まされた。世代だから仕方無いところもあるけど彼女の場合は、子孫に「善かれを押し付けていないと死んじゃう」ぶりが常軌を逸していた。きっと自己肯定感をそれで保っていたんだろう
こう考えてしまう親御さん多そう。「異性と結婚して子を授かる」が最善だと言い、子に薦める圧…。親御さん自身がその幸せの形しか実感できないから、自分が実感できない幸せの形を我が子が選ぶことを良しとしないんだろう。この思考の親を持つ悩みってバイセクシュアルにかかわらずよくありがち
半沢直樹に出てくる半沢直樹って、銀行に居ようが、出向先企業に居ようが、常に顧客第一主義…自分が今置かれている立場の中で全力で顧客に善かれと動く…そういうところが私は好き
ウチの子の通ってた園でも先生が言ってたとにかくお弁当の時間は楽しいことが大事と。だからウチのお弁当箱は小さ目だった。好物中心に、確実に食べ切れる量だけ詰める。栄養バランスは必ずしもそのお弁当の時間内に満たす必要はなくて、長い目で見れば一日や一週間のどこかで補えればいいつもりで
たとえば冷凍食品を使う主婦あるいは主夫に対して何かしら罪悪感をもたせるようなことを言ってくる人がいる場合、そういう人に対しても「過去の国から間違って来てしまい、世の中の仕組みも意識も変わっていることを知らずに喋っているんだな」と思ってスルーしとけばいいよ
お腹が痛くなくなったからといって、次の日からすぐに仕事に復帰できるわけじゃないんですよね…。痛かった当日は、痛みと戦っていたから仕事にならないし、翌日に痛みが治ったとしても、戦っていた間に失われたものをリカバリする時間が必要。栄養もそう、体力気力もまだこれからでしょ
自衛隊さんが破傷風対策をして危険な作業をしてくれていることに、頭が下がります。いつもいつでも、人がなかなかできないことを黙々としてくれているのに、一部の人々から冷たくされる
自分には必要の無い、でも誰かにとってはとても必要なもの、それが集まってできている世の中
その高齢者の中では、母親というものであればポテトサラダでもどんなおかずでも手作りするべきだと思い込んでるんだな。人が時間と労力をどこにどう使うか何を外注してその分何に時間を割く価値を持たせているのか人それぞれっていうことを知らないんだな
自分の身体から出てきた子供達が、自分の知らない彼ら独自の宇宙をそれぞれ持っているということに、嬉しくて小躍りしたくなることってありませんか?
私にとって(あくまでも私個人にとって)理想の職種と職場環境の条件のひとつに、この身体という自然の要求に沿って行きたい時にすぐにお手洗いに行けるということがあり、これは優先順位が相当高い
太陽や地面からも自然の放射線を日頃浴びてるけど「原子力は、自然に存在する放射能ではない人工の放射能だから体に毒」というものが笑えないオモシロ説として世にあった。いや人工とか自然とかどこで区別するんだっていうね…程度の問題であって出処は関係ないから
好きになった相手が「自身の○○を1ミリも愛していない」場合に「その○○も貴方自身だから愛せよ」と相手に押し付けることを一切しないで、相手その感覚をも○○をも全て愛していたいその思いを相手に分かられたい…って時のヒトというのは一体どうするものだろうかと思いながら観ていて…
タレントが仕事で見せようとしている部分だけが、こちらが見ても許される部分であって。週刊誌に盗撮されるだとか、いつの盗撮か分からないような写真にあれこれ文責定かでない憶測記事を付けられ拡散されアクセス稼ぎに使われ風評を損なわれるだとかは、本来はタレントが堪える必要のないものだと思う
ギャップで墜ちたあの頃の自分を思えば、推しは「わざわざ買ってみた人にしか知られることのないあの一面」を持つヒトでいてくれても良いんだが、その意外な面を全部無料で公開はされていなくても、「どうやら、買った人にしか知られざる面があるらしい」ということだけ認知されて欲しいという私の欲
お茶の間から観ていたパブリックイメージと、MV等で知った意外な魅力と、のギャップに撃たれて墜ちてファンになったのに。ファンになってみると、その意外な魅力がお茶の間からも全世界からも認知されたら嬉しい等と望んでしまうの、我ながら矛盾していまいか?
「アイドルは一般人じゃないからプライベートもコンテンツとして消費されてもあることないこと書かれても文句ないだろ」という考えも嫌いだし、「アイドルは理想だからプライベートも私の理想通りになっていてほしい」も無茶苦茶だと思うし、要はヒト扱いせずに搾取して支配してるってことでしょ…
自分も変わるし相手も変わる。変わる自分をさらけ出し続け、変わる相手を全部受け入れ続ける関係というものを、私の場合は、私の両親と私の妹と、そして今の家族(夫と我が子)との間には、築くことに成功しているのだが、
ということはもしかしたら、私ではない他の人もそれぞれ、昔の彼(彼女)とはかなり別人のようになっている可能性があるな…と推測する。あの頃どうも苦手だったあの人を今は苦手じゃないかもしれないし、逆もまたあり得る
ので今も、昔の自分の陥っていた思考を戒めようという気持ちが強いからか「○○というものは、何でもどんな場合でも悪いんだ(良いんだ)」という考えを見ると、それをちょっとほぐしに行きたくなるというわけ
日本って日本がキライだという人にも発言権があるし、日本を護る人々のことをキライという発言も許されるし、日本を好きという人を叩いていても日本に住むことが可能だし、自衛隊をキライという人のことも自衛隊はいざとなれば助けてくれる。懐広い国じゃありません?そういうところ私は好きだよ?
家族が在宅勤務中、普段は私にあまり見せたことのない彼らの「仕事をしている人」としての面を垣間見る(漏れ聴こえる)ことに感動を覚えることが最近多々あった(2020.5)
寄付は密かにやるべきという考え方には共感してない。密かにしたい人はすればいいと思うけど。それを強制することには賛同してない。影響力のある個人や団体が、どこここにこういう支援が必要と見たのでこういう支援をしますと表明することで、多くの人の関心を集められることも支援のうちだと思う
定期的に未来少年コナンの素晴らしさを訴える当アカウントとしては、まず、コナンの足指の強靭さが半端ないことを讃えたいし、体育会系なだけでなく実はめちゃめちゃ頭良いうえ、博愛精神。要所要所で選び取る言動が仙人。ラナという少女の叡智と慈愛も神々しすぎる…。この二人、12歳なのホントに
って、嵐ワクワク学校2020年の第1回授業でも思い出させてもらえた。外に出なくても何の不自由もなくエンタメ鑑賞等に幸せを感じられているこの暮らしも、それを可能にする、医療や運送やインフラ等あらゆる方々のの働きがあればこそだとエンタメ発信側が視聴者に呼びかけた、有意義
で、それとは別に言っておきたいけど、音楽だって演劇だってなんだって全ての文化活動を支えている、電気も通信も水道もガスも道路も交通も政治も、医療も教育もどれだって何だって、それは人の働きが支え合ってる大切なことなので、優劣を付けることはできない
自分にとって重要でないジャンルに対しては、まとめ方が大雑把になってしまうこと、ありがち
私の推し・嵐メンって皆さん、見てると分かるんだけど、何かの隙あらばすぐ、自分の携わった仕事経験や出逢いから蓄積されたことを社会貢献に繋げるような影響も考え各方面に善かれと話題にしがちな姿勢がですね…佳きアイドルのスタンスだなあと思う
何でもお上の陰謀だと思っちゃう人もいるようだけど、言いたいことが言えているよ、そうやって、こうやって。
人間って面白いもの作れるんだなあ、って思う。そういう作品を観ると嬉しい。人間の身体で生まれてこの作品を鑑賞できて本当に良かったなあ…ってなるから
自宅におトイレが2つあると、ものすごく安心して生きられる。夜でもいつでも急な体調不良によるおトイレ占拠を同居人の生理現象を気にせず心置きなく出来る。故障時も、業者さんが来るまでよその施設に出向く必要もなく用を済ませられる。大切。「狭くても自宅におトイレは2つある」が流行ればいい
とか考えると、逆に、当時の私が「誰々が気に食わない奴だ」と思ってしまったその誰々だって、発展途上だったのかもしれないし、誰々とはもし今、何の予備知識もなく出逢ったなら、案外佳き友になる可能性だってゼロではない、のかも知れない世界
ルパンレンジャーvsパトレンジャー、これ全話が24時間で収まるということに驚き。ルパパトは私が初めて第一話から最終回まで観た特撮コンテンツ。これによって私の中の特撮へのイメージが変わったのだった。人生長生きしてみるものだよね
優しさって難しい。「自分がされてイヤなことをしない」っつったってさ…私は大抵のことがイヤじゃないから、人の心を傷つけてばかりになるってことじゃん?もし大抵のことがイヤだって場合、それもまた、人に付き合いにくさを与えるじゃん?だから割と何でも平気な私がこの平気さに不安になる
(最終話まで観た)ヴァイオレット・エヴァーガーデン、人に思いが届くことの当たり前でない有り難みに泣く。世界に色々な人、色々な人の大切な人に届けたい思いが無数に存在して気が遠くなる。彼女が繋げたどの心も全て、彼女を作っても行くの。描写がこのうえなく美しい
あとね、普通の平穏な暮らしの影で、それを支えるヒーローはもちろんのこと、ヒーローを支える人の存在も教えてくれる。悪役にさえ個人の事情があることを教えてくれる。スーパー戦隊シリーズを推す人達の気持ちなどが、ようやく分かってきた
あと、やはり、子供が親を選んで生まれてくるという考えが、とてもきらいなんだよな…
あと、他のクラスタに響くとしたら、他を貶してそれを持ち上げるんではなく純粋に褒めていくこと
そんな私も、先日の音楽の日で心臓破りの坂をローラースケートで走りながらあの歌を歌い切ったジャニーズJr.の子達の技に敬服することで、遡って光GENJIに抱いていた当時の私の感覚を見直す、といったことをしているので、つまりバイアスのかかったイメージはアイドルが芸を磨くことで払拭
夏風邪がお腹に来て、何がイヤって、お腹という現場の声と、頭というトップの要求とが、噛み合わないことだね。経口補水液で過ごしおトイレに通った午後、頭は「炭酸とか飲みたい」「アイスとか食べたい」とか勝手な思いばかり言ってくるから(2019.8)
恐ろしい自然の毒から身を守る為に人工の技術が存在してくれる
「推しは虐げられている」という妄想を膨らませる人の気持ちは仕方がないけど、「推しは何もできずに人の言うまま大人しくしています」のアピールをして、それって推しのことを逆に馬鹿にしてることになるじゃん。推しはいい大人であって、推しは推しであり、ファンは推し本人ではない
憲法や法律も、昔の価値観では掬いきれていないことをカバーする為にアップデートしないとならないと思う
私は今のところ、見た目の身体は女性、自認する性も女性、だけど「好きになる相手」は必ずしも男性とは限らなかったし、そして好きになりかたも必ずしも性愛では無いような恋愛感情のようなものだった。なのでどこに分類されるのか曖昧な部分がかなりある
セクシャルマイノリティについて理解が足りない親族が、その人そのままの生き方を肯定できずに「治すべき」「それは治るはず」という誤った考えを押してくることが多々あるんだなと思った
そういうテレビ番組などで、宇宙から自分の命の起源を考えさせるきっかけが、一般人に親しみやすい形で種を蒔かれるのは、良いよね…それがどこかでまた誰かの中で育ち花開くかもしれない。そしてそれがまた誰かに影響して誰かがまた世界観を深めていくかも。そのきっかけ、最初の一歩、佳き(2019
6月のNスペを観て、宇宙に生物がいる可能性について考え、ここ地球の環境がいかに宇宙の全体的には寧ろマイナーなのかと思いを馳せて楽しかった。7月のを観て、逆に、こんだけ宇宙に生命の材料となる元素が万遍なく用意されてるなら宇宙にここと同じような世界があってもおかしくないと思(2019
だから親のほうも様々な世界と価値観に触れてアップデートして不安解消したほうがいいし、そもそも子供の人生は親のものではないからね
親は子供を良かれと思って心配するとき、その「良かれ」は果たして子供にとって良いのか、どう良いのか。どういうものなら良いのか。子供の頃に親の心配が少なからず重く感じていた私も、子供を必要以上に心配してしまいがち。子供が自分の知らない世界の知らない価値観に生きることを不安に思いがち
自衛隊員さんのお蔭で安心して暮らせているってことを、子供達は知るべき
それと、都市のデザインがホント…よくできてて夢のよう。機械化母星の真ん中ら辺にエレベーター的なものが吸い込まれていくデザイン、お母さんぽいところが綺麗でコワイなあって思ったりした。1979年の映画というのがすごく凄い(銀河鉄道999
毒親への複雑な愛着とか、両親の不仲とか、…あと、どんな正義の為とはいえ、心ある人間を欺かざるを得ないつらみ、いつまででも本来の自分を隠して生き続ける絶望…、そんな境遇の彼女にとって、あの子の真っ直ぐさ、若さ、飾り気のなさ、どんなに眩しくて護りたくなるものだったか(銀河鉄道999
あとね、参政権を得るためには税金だけじゃなくて国籍が必要、って何もおかしくない。たとえば家賃を払ってるだけではアパート経営に口出しできないのと一緒。いざとなったらここを出ていくかもしれない人にまで国の方向性に関わらせてたらいろいろ問題あるので、そこはきっちりしてくれていい
人は…ていうと主語が大きい。よく見かける人々は…、察し過ぎ。想像し過ぎ。ひとつひとつの事象を結びつけ過ぎ。物語を作り過ぎ。
寧ろ、夜が明けて朝が来るなんてことに依らなくても、何か別な仕組みで「自分はここまで生きた、今度はあの段階までにこうなる見込みを立てる」みたいな目処を立てているのか。それともそんなことに煩わされずにいて、却ってそれはそれで幸せなのだろうか(※自転のない星に住む生き物の件)(2019
つまり日頃私が「自分」と認識している自分の範囲外にも、未知の自分エリアが広がっているのかもしれない
ところでまたさっき見た夢の話に戻るけども…ネジを締める道具の形状が、この世で見たこともないようなやつだったの。そういうのがなぜこの平凡な頭の中が作り出す想像の中に出てくるの…自分の脳なのに自分じゃない感、自分じゃないなにかに乗っ取られ感…!怖い、楽しい、だから寝るのはやめられない
それか実は死後の世界は階段の途中の平坦な踊り場で、それまでの階段が険しくて疲れちゃったから、踊り場が天国みたいに感じてるけど、実際何か超面白い楽しい場所というほどのことはないのかもな
勝手な私の妄想だけど、死後の世界が天国だとか地獄だとか言うのは、遺された人間が願望で言ってるだけのような気もしてしまう。大好きな人が亡くなったら「あの人はきっと天国で楽しくやってる」ひどい人については「あれは地獄行に決まってる」みたいに、気が済む為の
バーニッシュの炎の描かれ方、というか、炎の出し方の描かれ方、がもうホントに…哀し美し…愛し悲し…あとね、あんなにものを深く考えてなさそうに見える主人公が実はあんなに、天才的なさ、人智を超えてるような答えに辿り着く話は好きだよ…(プロメア)
プロメア、好き!o絵がカッコ良いo声の演技が超良いo口上見得切り惚れ惚れo哀しみ憎しみ炎の龍が美しいo被差別民の苦痛で選民を生かす仕組みがグロテスクで美しいo二つの相反するあれとあれの合体技で慈愛大爆発
私は献立を考えることが面倒なんだけど、その中身として「予算オーバーしない範囲の食材と冷蔵庫の中身を上手に使い回せて、且つ、下準備も後片付けも面倒くさくなく早く出来て早く片付く、且つ、食べる人間のその日その日の体調に合わせて摂れる栄養なども考慮した」献立を考えることが面倒なんだ
彼の背負ってきた宿命というものに初めて関心を向けてくれたのがアラジン…下僕だろうが王女だろうがヒトとして見てて流石だわ…一見、世俗に塗れてそうなところに、こんなに意識が広く深く高い人がいますよねえ
姫のところに向かうアラジンのパレード、あの意味の分からない内容の大量の豪華なお土産が、めっちゃバカバカしくて大好き
生きてた証を遠い子孫の世代に見つけて貰い「へぇ…千年前の人はこんなこと考えていたのか」とか思ってもらうよすがとして、ツイートやブログに書いたテキストデータを入れたメモリなんかを綺麗な缶に詰めて地下深く埋めたいけど地下鉄工事の人にすぐ発見され個人特定される…地下6階でも安心できない
虫の形は時にとても好きだ。でも虫が私に手の届く場所に居る状態は好きではない…窓の中から外を眺めて知る雨粒や雨の音が好きだけども外で雨に濡れるのはイヤ、みたいな感じ
マニュアルが分かりにくいとかも腹立つけど、自分が新人になったつもりでその説明を読むなり聞くなりした場合にどこが分かりにくいのかを理解できないという経験者の人々の頭の弱さにも腹立つことある。つくづく思う…仕事のしやすさはそこにいる人の頭の良さに依るなあ、と
ゲームが犯罪に繋がるとかいう説、無意味。私の好きな国民的アイドル二宮さんなんて1日11時間くらいゲームしてるというしイベントで難しいダンジョンをノーコンティニュークリアするほど技を極めながら芸能活動でも言わずもがなの素晴らしい活躍してることもっと報道されてもいいじゃない
つくづくアイドルのコンテンツは総合芸術だよなあ…歌詞や楽曲だけでも成り立たない、カッコ良さとかビジュアルだけでも成り立たない、あらゆる要素を駆使して見る人に多幸感を与えるエンタメの為の音響等や演出の技術も表に出ない人の働きの存在も大切だし
こんだけ技術も進んだ世だから、ヒトが簡単にできる程度の単純作業はコンピューターに取って代わられるかもしれないけど、ヒトだから気付けてケアできるニーズに気付いてケアするとか、ヒトだから感動できるものを拾って広めるとか、そういう仕事はまだまだ生き残ると思うよ
ところでNHKのスペースoスペクタクルで観た、生命が存在するかもしれない星の話だけど。自転してない星の昼と夜の間の、夕暮が続く地域に延々と生きてるかもしれない星人からすれば、夜も昼もないし冬も夏もないし昨日も明日もないとなると、時間の区切りで気持ちを切り替えるってことを知らないかも
昔、まだ私が会社員に成りたてで右も左も分かんなかった頃、先輩に最も怒られたことは、私のミスでも物覚えの悪さでもなく、「仕事の区切りがつかないからといって休憩時間になったのにまだ作業を継続していたこと」だった。ありがたい
あまりにも我が事のように親身になられると逆に「心配かけまい」って感じてしまっていろいろ言えなくなるんだよね、そう、子に言われて、それは私が痛いほど経験したはずなのに、やってしまって
スーパー戦隊シリーズ、クールによってコンセプトがいろいろと違うの面白い。多彩だな…。あと、子供向けだからこそなのか、案外、人の世の不条理とそこに向かうマインドのヒントがうまく描かれてるの佳き
なんとしても本人の言葉を曲げられたくないという真面目誠実さが伝わるんだよなあ、嵐さんの発信って…。
ひとつ屋根の下を復習し。あんちゃんも浅い理解や押し付けが人を苛つかせる未熟さあるかと思うと、仏のような太っ腹な精神あるし、リアリストちい兄ちゃんの理屈も彼なりの愛と正義が見え腑に落ち、必要とされたい小雪に闇が見え、和也が意外と誰よりも文也にフラットな接し方をしてる気がしたり
平成初期くらいのホームドラマとかをいま観ると、たとえば女の子や男の子に期待されるあれやこれなど…結婚、仕事、諸々いまとは違う当時の社会通念が分かって面白いんだけども。自分がその中を生きてきたこと思い知らされて何というか…哀しいような、よく頑張って来たなあというか
ちょっとなんか自分にとって、決まってないもの、未知なもの、があるとすぐ…心配になってしまう、だから敢えて「失敗したってそれ大したことじゃないから」と思えるような状況に喩える為に、自分に繰り返し言い聞かせる言葉「取って食われる訳じゃない」「これも何かのゲーム」
そうなんだよね…生きる為の手段である仕事も、「生きること」に含まれているからなあ。食事もそうだし家事もそうなんだ
傍目で見ている私のような一般人が思いつくことや心配することなどは、既に現場のプロの人達はとうに考えていて、ちゃんとやってる…ってことばかりだと思う
キュウレンジャーはフォロイーさんの薦めてくれるまま最終回まで観…素晴らし。チームの各メンバーの背負うものや生き方を互いに尊重してるのクレバー。味方が敵に操られるなど絶望的な状況でもめちゃ強いポジティブ力。幸運とか星座とか。時空超えとか。なのに敵役は江戸幕府風味でギャップ面白い
最近この「めんどくさい夢から覚めて起きた時に、悩む必要なかったじゃん!って安心する一方で、この記憶のままで先程の夢にまた戻りたい複雑な気持ち」を楽しむという趣味にハマりかけているんだけど、やや疲れる。人生の終わりに向けて練習してるみたいなしんどさ
話は変わりますしこないだも言いましたが…私はまさかこの歳になって、今まで馬鹿にしてきたアイドル文化のみならず、特撮ヒーロー文化にまで、その良さを知らされるという人生後半まさかの出来事にときめいているので、皆さん、人生後半時間も全く侮れませんよ
いろいろな議論のこと拝見してつくづく思う。Twitterでもなんでも、現場の実情を自分は知らない分野について、気軽に議論に参加していく勇気?っていうかそのスタンスの、ハードルの低さ、なかなか凄いな
各人の視野に入る一番極端でアレな例を上げて人が怒る、それに対し、極端でもアレでもない真面目な人が心をいためる、そういうのホントどうにかなんないか
偏見をもとに何かを闇雲に否定する人のせいで、冷静に分析しようとする人まで割を食う、とか、何かをザッと見の印象だけで否定する人に対抗する言葉に追加される何かを絡めて語られるその追加部分に賛同したい人が、元の議論の複雑さを置いてきぼりにしてそこだけ拡大する、…などが起こっている印象
まあ何にせよ何かを批評する人の中には、それをよく知った上でだからこうしたほうがより良いという観点で批評する人と、それをろくに知らないでイメージだけでなんかかんか文句言う人とが、ごちゃっと混ざってやって来るから面倒なんだよな~
これほど物事はあっちから見ればこんな色だったのにこっちから見ればこんな色なんだ
だんだん彼らの我欲が削ぎ落とされて人良かれになっていくあの終盤の戦い方がホント好き/あの本編ラストで例の空間に居た三人にしても、とことん我欲がなくて、ただただ…もうね尊い。あの境地になっていけたらいいな私も歳とっても(ルパパト)
脚本もすごく好き。個人の愛と公共の幸福との擦り合わせとか、正義に辿り着くための葛藤とか、人には各々個々人の歴史があってそれが行動を形作るが相互作用で変わっていけるとか、また、悪役にも個性や感情が豊かにあるし。最終回のあらゆる「反転」が天才(ルパンレンジャーVSパトレンジャー)
(ルパンレンジャーVSパトレンジャー)敵味方はっきりしないところから始まって段々と協力関係に到るまでの両チームメンの人間模様とか、ひとつの話に必ず両チームの見せ場が来るようなグッドストライカーの働き、合体ロボの要素もラブコメ要素もある特撮ヒーロー物
人類が生活を効率化していく研究努力のお蔭で生存維持以外の精神活動に時間を使えるようになったの薪割りしなくても湯加減見張ってなくても適温のお風呂にいつでも入れるから好きな人や好きなものに向かう時間も増えてガスや電気ありがとう…そういう仕組み嬉しい。冷凍食品もPASMOも好き
人類が生活を効率化していく研究努力のお蔭で生存維持以外の精神活動に時間を使えるようになったの私は割と好き。推せる。
ボードゲームの紙幣ってあくまでもゲーム内でプレイの自由度を高めるアイテムであって、ゲーム終わったらもう用はなくてそれだけ持ってても仕方ない。生きてる間の財産もそんな感じか…だけど違うのは、終わったあとに手持ち紙幣が回収されず次の特定のプレイヤーに渡せてしまうことかな
息子と娘のそれぞれの学生時代がそれぞれ過ぎて、同じ家に生まれて同じ親に育てられようがとにかく、ヒトはそれぞれ違うものに惹かれ違うものに影響され違う種を心に蒔かれてそれぞれの道を歩くことになってるんだな…と当たり前のことにしみじみする
人と合って喋ること自体もつらいと思う気持ちの推移、他人から見たら大したことないと思われる事項への挑戦…これ自体を何かにいつか活かせるネタとしてネタ帳にためて行けたらいいのにな
自分が「きっと一生このジャンルにハマることはないだろう」と決めていたものに、突然ハマることってあるんですよね。そのきっかけになる要素を語ってくれている言葉を読むのって私は好きです
子供をみながら仕事することの大変さを可視化できるから良い、という声も見かけたけど。可視化しなくたって想像できるように世の中なって欲しいな…自分の意志ではどうしようもない存在(乳幼児の生理心理)を優先しなきゃいけない場面で仕事なんてしてる場合じゃないので
何かを自分の中で「危険物」認定してしまったら、もう僅かでも排除したくて仕方がない人々が、いくら厳しい検査を通っていてもそれを忌み嫌って風評被害を拡めたんだなあ
躾とひとくくりにされていたアレとかアレとかを、パワハラだと認識するのは大事だと思った
その度になんだかやりきれない気持ちになったりする。今日はまたなぜこの話を蒸し返したかというと、「神様なぜ冬を作ったんだろう」っていうから、何も考えず斜めに倒したら結果面白いことになったからこのまま季節の変化あるようにしておこうってなったんじゃないのか、と
また今日の議題、地球外生命体との外交が恐いってことだった。向こうさんがウチの星より意識レベルが高過ぎると、こんな…内輪揉めしてるようなウチらなど付き合う資格なさそうだし野蛮だと思われていそうだし、逆に向こうが昔の植民地支配時代の列強っぽい星だったらウチ達が奴隷にされそうで恐いし
そうですね…「あなたの為に生きてきた」みたいなことのあとに大抵は「だからあなたは私の満足のために生きてもらおう」ってなるんだろう
セーラームーンミュージカル関連のCDを家族と聴いていて思ったこと。悪役の出す低い声と高い声って惹かれる。低い声はモノを考えていそう、何かを強く思いつめていそう(悪巧みも、恨みも)甲高い声は正気を失っていそう(愚かしさとか)低い声高い声いい感じに混ざると複雑なキャラ表せそう
ところでドラマ「手紙」でも言ってたけど、差別って本能だという…そうだね、無くすの難しい。誰しも面倒なこと忌まわしいことに関わりたくない気持ちあるから。これに限らず、本能そのままだと良い人間社会を作れないし制御しきれないのは恥ずかしいことで「本能だからいいじゃん」ではないのだった
来世がないってほうが心を安らかにして逝けそうな気がしてきた。以前はそうは思わなかった…今世叶わないこともいつか叶うかもと思えば気楽に逝けそうとか思ってた。けど…来世って怖くない?どんな人間のいるところにどんな生き物として生まれるか分かったもんじゃないというのは
極端なんだよね…何かが身体に良いとか悪いとか決めるとすぐ、そればかり摂ったり、逆に1ミリでも身体に入れまいとしたりするのって…分量匙加減次第で毒にも薬にもなるのに
ところで、ふと、自分のその時その時に夢中になったもののこと、生活のなかで思い返したとき、いったい何の役に立ってたんだとか、あれやこれの時間に何か意味あるのかとか考えてしまう瞬間もあるっちゃある。けど。意味分からない楽しみの為にこの人生があったっていいんじゃないかな、とも思う
夫や子供とも、もういっそTwitterの相互フォロー繋がりだけになってしまいたいことってある。言葉から伺える心だけ分かり合える程度の距離感で互いに好きでいたい。…などと、ひとつ屋根の下にいる面倒くささのあまりに思う。直に声を聴けて顔を見られる幸せを時々忘れるバチ当たりな自分がいる
医療不信な人にしても、電気嫌い自然大好きな人にしても、自分がどうやってこの世で今まで生きてこられたか考えてみてと思う。皆が凄く努力してこの人間っていう元々不自然な生き物が生きていけるように知恵を積み上げ繋いだ人工物のお蔭で狂犬病にも破傷風にもかからず長生き出来てネットとか使えてる
ゆりちゃんも言ってたけど、一人が全てを深く味わうのは無理で、私が知らない人生を誰かが知り、誰かが知らない人生を私が知ってる、ということで成り立ってる世だから良いんだね、ホント、そうだね(逃げ恥のあの回)
避妊手術しないことのほうがよほど可哀想だ。彼らの健康的な生に最後まで責任持てないまま餌だけやってるのも可哀想。結果的にそれが殺処分をなくせない原因になってると思う
色彩、ただ光の波長がちょっと違うだけとかでしょう。なのに、なんでこんなに「うわあ綺麗」って感じる仕組みになってんの?
千里の道も一歩…これは、一歩踏み出さなければ千里なんて無理ってことだ。決して「一歩踏み出しさえすればもう千里先に行けることが確約された」わけじゃない
そんなわけで、…人にされてイヤだったことを反面教師にできるためには、反面じゃない教師も居てこそでは。人にされて嬉しかったこともあってこそだと思った。
宝石は、空の星と同じように眺めていたい派。所有して身につけたりしなくて別にいいのでどっか宝石カフェみたいなところでただ見たい。けどブリリアントカットの綺麗なダイヤモンドとかの各宝石の典型的な形のが各種1個ずつくらい手元にあってもいいかも。いつでも眺められるセット
混ぜっ返したいというか…「Aである!異論は認めない!」というものを見ると「Bかもしれないよ?」を投げて寄越したくなるとか。それでそれを見つけた人が「ほぼAだけどBかもしれないなあ」と思ってもらったら私の気が済む…みたいなさ
誰かしらに聞いて貰えれば気が済むようなことをBotに登録して時間差で流すことで、少し個人特定のリスクが減る
人は(←主語が大きいな、私は、だろう)自分が興味の無いものに対してその価値を低く見てしまいがちだな~自分が知らない良さがドラマが苦労がきっとあるのに見えてないの
お財布が寂しい中で如何に楽しむかというお題を出されてるゲームなんだ、これはね。多分。クリアできると思うよ私
自然ってありがたい面もある以上にとてつもなく恐ろしいものだよ…人工に守られてなかったら、このヒトが人間としての命の営み文化楽しみすべても自然の威力に擦り潰されて無くなってる今頃。自然からヒトを守る人工を否定すること≒人間否定することになる…ありがとう人工
怖がらくてよいものまで必要以上に怖がらせようとするのは、人の生活を壊すことだから…。きちんと検査もして安全だというものを東日本のものは怖いから食べられないと言われ続けてずっと住めないとか言われ続けてたら…それは命に関わるし、何もなければそれで良かったとかじゃないんですよ
左右非対称なところがあるビジュアルってとってもセクシーだよね、と常日頃から私は言ってるのですが、何故なのかはあまり考えたことがない…生物学的になんかあるのかな…
こういう思いを私がヒトがダラダラとネットに書き散らせるのも、安定した電気供給その他インフラのお蔭だし、食べ物を始め生きるのに必要な物資が手元に届くためのあらゆる働きをしてくれる人達のお蔭だし、経済が回っているお蔭だし、だから私も経済を潤し税金を納めて生きたい。いつもここを忘れまい
帰化した人としない人とで違うのって、差別の話じゃなくて区別、そういうルールの話だと思う。たとえば家賃を払って借りて住んでいるだけでいつ引っ越すかもわからない人とそのアパートの大家とでは権限も当然違うように…。って私は常々思ってるんで
私の身体の中の細胞のひとつの中の小さな宇宙にどんな誰がいてどんな暮らしをしていようが、彼と私がご対面することなんてないもん
なので人様の発言「※※には興味がないが〇〇は良い」のことを私の脳内で変換して「※※はこちらにとって取るに足らないものだが、〇〇はそれを超えてこちらにアピールしてくるから認めてやろう」のようなニュアンスを勝手に私はつけるの、我ながら良くないものの見方だ。〇〇は※※であるから良いのに
多分、人類が増えることを良しとしていなくて、地球のため自然のためには人類はむしろ減ったほうが良いと考えてる人がいるんじゃないかな。でもそういう人の考える「減らしたい人類」の中に、もしかしてその人自身は含まれていないんじゃないかな…。
この世が「ある」ことはさすがに分かるんだけど…「何故ある」「何の為にある」のかが分からないのって、なーんか腑に落ちないよ
石ノ森章太郎さんの転んでもただでは起きなかった傷心海外旅行の経験が、ああして活かされたサイボーグ戦士だったとはね
サイボーグ009の主題歌)「誰がために」メロディも良いし歌詞も超好き。「夢見て走る死の荒…野…」で号泣しそうになるし。サイボーグ戦士は皆がそれぞれに辛い過去を持ってるんだけども、それこそドラマ石ノ森章太郎物語に出てきたあの台詞のように、悲しいと両立できる感情で自他を救えてる
検察側の罪人、木村さん二宮さんのあのアレとかアレなんかもう凄くて…木村さんあの時点でおかしくなってからの色気たるや。二宮さんの爆発、この人をこのままにしていていいのかと思うくらいの壊れた感じで、そのあとすぐ鎮まるの怖かった。静かにしてる時の向かい合いもしみじみ哀しくてやられたな
「親を通してこの世界から貰った大事な身体」をどう使おうと、それがこの世界から承認されたなら機能するってことでいいんだと思う。親は子供に身体をあげたんじゃなく橋渡ししてるだけ。我が子に「身体をあげた」とか思わない。世界からこの子が身体を授かることに微力ながら関わらせて頂きました
いやもう本当にマジで「ぼくの地球を守って」は最終巻まで読んだらホント後悔させない!!やっと皆が救われるってば。過去が今と未来を生かすことになる。その年齢のそこの縁にしかないものを一緒に享受できる尊さ。その後の話も微笑ましくて大好き(2018.8)
主流、多数派、人気者、…そういう存在をとにかく嫌いであるとする人がいるし、そういう存在に対しては決めつけた目で見てもいいと思ってる人がいるし、そういう存在にならどんな酷い言葉を投げつけても許されると思ってる人がいる
途中途中がしんどい物語は、しんどさの分だけハッピーエンドの喜びが大きくなる。知ってる。
紫苑、愛し愛することを知らないから愛されたいけど半端に愛されても辛いからすぐ逃げ拒否る様子。玉蘭は善意の中でのぬくぬく育ちで紫苑の本当を理解できないなり紫苑を助けたくているけどそういうの紫苑には迷惑でしかないし自己満足としか思われてない。この二人が象徴する断絶に私は絶望する
子供の気持ちを分かろうとしてくれない親の気持ちを、子供に分かって欲しいとか無茶。子供相手にそんなに甘えてしまうのダメ。相手は子供なんだから子供が親に甘えるのが本来だよね…
自分の身体の中の一番優先して守るものだ、という生理的な感覚でまずは我が子を守ってきた親が、だけどこの子は、自分とは全く違う個人なのだから、自分の知らないところで幸せになってほしい、というところに到達したら、そこで初めて、無条件の愛は成立すると思う
でも、自分の身を守るように息をするように子供のことを守ろうとすること=子供を人として尊重すること、ではないかも。イコールじゃない。むしろ、これを同一視してしまうと子供を自分とは違う人間として大切に離す、ということができなくなる
それは今までに知らなかった気持ちだった。自分の身体でたとえれば、自分の身体は考えるまでもなく反射的に守るが、転ぶときに咄嗟に地面に手を付く、その「手」が自分で、手が守ろうとした「頭や胴体」が子供、みたいな。理屈とか意志とか無関係に
産まれた子供に対して自分のなかに生じた感情、それまでに経験したことの無かったものだった。好きとかそういうのじゃないし、ただ可愛いだけとかじゃない。なんというか、自分自身のように当然守る気持ちに自然となるけれど、自分自身よりも優先して守る気持ちに自然となってしまう
はじめて小学生の子供が入試に挑戦した時、入試会場の保護者控室にいたんだけど、いままで応援させてもらってありがとうの気持ちと、いま子供と一緒にあの教室にいるすべての受験生の子たちがみんな何のアクシデントもなく熱も出ずおなかもこわさずにこの部屋に来ますようにの気持ちだったのを思い出す
白紙の紙の上辺と下辺から数センチの幅を取った部分を区切り、各々自分の陣地とし、間を川とし、所々に置き石や橋を書き、一対一で交互にプレイ、最初は自陣からスタート、芯を紙に突き立てて押し付けた鉛筆を弾いて先端が止まった箇所が一歩、川に落ちず先に敵地に侵入したら勝ち、この遊びの名称は何
産まれる。不思議だ。どんな民族の、どんな文化の、どんな思想の、どんな生い立ちの、どんな性格の、どんな体質の、どんな生活をしている人のところに、どんなタイミングで、どんな順番で、どんな状況下で、産まれてくるのか、わからない。
本当の本当は子供や孫を束縛なんてしたくなかったのだろうとおもう。きっと彼女も。ただ幸せを願いたかったのに寂しさがそれを覆ってわからなくしてしまったんじゃないかな、いまはそう思える
もうすぐ世が滅亡するよ、このままでは地獄におちるよ、って宣伝しておいてから何かを信じ込ませて操る手法、割といろんなところに見つかるね
楽に死にたいと同時に、私は、遺った人に「ああ、彼女は楽に逝ったようだな」とアピールしたい…何のためかよくわかんないけど
ふと読みたくなった過去の文章なんだけど…、誰かが何かを思ってその思いを書いておいてくれるというのは、読者の心の故郷的なものにもなっていくし、世界に遺されていくということを改めて感じてる
思い出したら娘は私と湯船に入ると、必ず絶対100%、私の二の腕の柔らかいところを触っている。さっきもそうだった。いつもなされるがままにしてるけど今日は訊いてみた、どうしてなのかと。そしたら「触ることって人間にとって必要だよね…」って、あんまり答になってないことを返してきた
(被災地の)ボランティアに、少しだけ参加させてもらった家族が報告してたことがあるけど、どんな作業もとにかく簡単そうに見えても簡単じゃないし一日では終わらないし一人では終わらないし一つの考え方一つの方向を定めること自体が大変。ほんのちょっと垣間見ただけでも感じたという
子供が想定通りに反応しないのは、親である自分のせいだと思ってしまう。子供が親である自分をまるで責めているかのように感じてしまう被害妄想も起こる。別に責めてないし、想定通りに反応しないったって、子供なんてそういうものなんだ/ってね、いらいらしていたあの頃の私に伝言したいわ
そうだな…幼少時の子供の何がかわいそうって、ここより外に違う世界がある!ということを分かりようがない、ってことかも。親にせよ、学校の狭い人間関係にせよ…。注ぎ込みたいわ、いきなりの広い俯瞰の世界観
私が神様ならね、物理的にも精神的にも、子供にしたことが即時に自分の身にも同じことを受けるような仕組みにする。叩いたら自分の身体も叩かれた痛みが生じて、撫でたら自分も撫でられる感覚を覚える、とか…
自分が経験してきて、これは良かった!っていうものを子供に薦めたくなる気持ちが、あるよね。しょうがない。悪いことじゃないかもしれないけど、友達からの推薦と、親からの推薦とでは、子供の受ける心理的な縛られ感が違うと思うんで、それをフラットな条件にできなさそうなら迂闊に薦められない
何か誰かを好評価して褒めるツイートは拡散したくなる(私の好きな人や作品なら尚更)だけど、そこに誰と比べてとか、それにひきかえ誰はダメとか彼は下手だとかの貶し文言が入ってるとイヤ。誰にも刺さらず傷つけなさそうな称賛ならリツイートしやすい
一人のファンの主観でしかない願望を、ファンの総意のように押し付けるのも、アイドルの気持ちを代弁していると思い込むのも、いずれもアイドルの応援なってない。勿論、ファンだからこそ見える、一般の方々には知られざるアイドルの姿というものを知ってほしいという気持ちはあるけど
いわゆる女性週刊誌にむかついてしまうのはネーミングが原因かも。女性?女性はこういうのを喜んで読むのだろう、って言われてる?それがいやなんだ。どこらへんが女性なんだろうか?
たとえばアイドルの結婚がご法度だとは今時の人に必ずしも通用しない。ネットで芸能人と自分達の垣根が低くなったし、アイドルはトイレにも行かない神だなんて望んでない。アイドルにもプライベイトを充実させ幸せになってほしいと。自然な人間的な生き方を見せてほしいと思うようになってるから
私は昔はジャニーズを、ただ微妙な庶民的イケメンが宝塚的な演出のもとでふわふわし歌ったり踊ったりするだけだと思って心のアンテナにはまともに受信させていなかったけど誤解だった。踊りつつ歌う訓練を子供のうちにすることが職人技。数ある歌を振り付け含め覚える。エンタメステージを作り上げる。
充分に勉強してきたんだからもう本番はこの受験っていうドラマを楽しんで、何があってもカメラに映る自分が最後はどんな形であってもそれがハッピーエンドを見せてくれると思うよ。受かった学校が自分に合った学校だから
お墓を選ぶときに、お参りにくる子孫も老いるということを忘れがち。だけど私自身、寝るところはお墓じゃなくても別にいい。クラウド的なところにメモリーがあるとか将来は遠出の必要もないような形態になってくだろうし、好きにして欲しい
「お釈迦様は本当は輪廻なんて言ってないんだよ、死んだら終わりなんだって。だから解脱するならいま生きてる間しかチャンスないってよ!」とバーゲンセールに誘うように言う娘。でも別にさ解脱ってしなきゃいけないの?
ミスを叱られたが、・このようなミスを人はしがちであるというサンプルを私は提供した・叱られたのはミスであって私の存在ではない…と思うことでメンタル凹みを凸にしたのだった
夢のなかでは自分でしっかり分かっていて明白な事項、それをこの世界の言葉にいま訳すのは難しい。 こうしてる間にもどんどん夢の記憶が曖昧になる。前世の記憶のように消えちゃうっぽい。
なぜだかわからないのはくるしい  敗者復活がないのはつらい いつまで・なんのため、が見えないとしんどい。
そんな文句を心のなかで言うこともなく、与えられた環境のなかで自分をああまで変えていった主人公には、年齢以上の尊さを感じた。(HOPE 2話の件)
でも、映画館に10回以上、足を運んで同じ映画を独りで観たのは「キサラギ」だけだったなあ。あのイチゴ娘は素晴らしい 一日に二回観たときもあった。上映期間が終わった後日、結局DVD も買ってまた繰り返し観たし、どんだけキサラギ好きだったのかあの頃、 特に後悔はしていない。
「昨日の松潤が超可笑しかったwww 」と思わず言ったときに娘が真顔でこっち見てたから、なんか可哀想に思われたのかと思ったら、「いや、誰に向けてのはつげんなのかその意図を測りかねて…」って言われた件ですが、私は独り言と語りかけの厳密な区別をしなくなってるんだと思う(2015)
「時間の経過」に伴う変化の中で何か心のありかたが変わらずに続いて積み重ねている、という描写にきっと弱いんだ、私の涙腺\r\n(監察医朝顔最終回を観た時の呟き) 
最初にファンになった時、曲やMVが思いのほかカッコ良くてパブイメとのギャップに惹かれたのがきっかけであったけど、結果的には、垣間見える人としての佳き態度にも惹かれて居続けられているので、ありがたいことだなあ(嵐さんについての呟き 2020.2)
そうなんだよね、有意義に生きたいって思うときに、生きやすい考え方を持ってると生きやすい。各々、それぞれ/ 有意義に生きてる実感ができなくても、生きてることがすでに有意義とも言えるのかも、言えないかも、って私はその日の体調にも左右されちゃうんだけれども
監察医朝顔 最終回で私は平さんのあの○○○○○○○○○○○○○○にショックを受けたけれど、そのあとの朝顔さんや桑原くんの言葉で自分の認識を改めた。はっとした https://t.co/Dg3NDo3A3r
神のようなプレゼントを頂いたのでこの幸せを世界に分けたい。ブラック・ジャックのファンのひとはもちろんそうでないひとにもすごくおすすめしたい「ブラック・ジャック画集」というものがこの世にあるんですよ、作品タイトル50音順リストなんかもついてもうね凄いよ…! (2017.3)
私がひとを好きになるときそれはそのひとが出逢ったひとびとや出逢ったもの、それによって生じた思いの積み重ね集大成を、その刻々と更新される全てを、好きになっているのか、それはそのひとによって選びとられた世界なのか、それとも選びようもなく全世界なのか そうすると個性って何だろう。
なんか…自分一人の人生だけだと何のことやら意味も分からないし何も成してないけど、大勢の人生が集まって大勢の時間が積み重なったら、それを俯瞰で長い目で見たら、ジグソーパズル的に、あーあー、、なるほど、こういうのができるのかー、と分かる。で、なるほどと分かる人って誰、みたいな…
あとにもさきにも、私がゲーム機でゲームを楽しんだのは、あの子の幼稚園児時代に、難しい箇所をクリアするよう頼まれてやってみたポケモンシリーズ。ソーナンスが好きだった/ ソーナンスの何が好きって尻尾に顔があるわけのわからなさである。
やっぱり、私にはすきなひとがたくさんいて、そして その私が好きなひとからは、好きなひとのひとりとして気にかけられるのが理想、そうでないと安心できない体質、我ながら本当にどうしょうもない
第一話から最終回まで走馬灯のように記憶を早送りしてるんだけど、美咲さんに関しては、牛乳に始まり牛乳に終わってたの、なんかかわいいな (世界一難しい恋) (2016.6)
箪笥の引出しが開けにくくなるほど割と安い普段着の在庫が相当あるのに、洗濯して取り込んだ Tシャツをそこにはしまわずに翌日か翌々日のサイクルで着てしまうから、結局この二、三枚しか必要ない生活
素敵な歌声を聴いて眠ったので夢見は楽しかった、のに そのストーリーを現世の言語では思い出せない
絶望から救ってくれた映画 ラスト・エンペラー。当時の私は心が雁字搦めにされてた。主人公の、中国最後の皇帝(という肩書あれども寂しがり屋でお母さん恋しくて素直になれなくて重圧にもがいて独立したくて背伸びしてた男の子)が諸々経て心穏やかになるまでの歴史を観て、すごく癒されてた
罪を被って愛を貫く政次の本当の心を分かって泣きながら心で抱き締める直虎と、その直虎の心の中で本懐遂げて息絶える政次(おもてには、傍目には、とてもそうは見えない真逆の光景)。目で見えている処刑の劇と、その奥にある精神のドラマが、こんなに違うので美しくてつらい (おんな城主直虎
美女と野獣 別世界の二人の人生を交わらせて、彼らのものの見方を優しく変えてくの好き。エンディング「How Does a Moment Last Forever」ゆったりして、もの哀しさある歌、この奇跡すら遠い過去…人の営みも永遠の中の一瞬なんだ…って思って少し寂しくもなるの好き
自分と違う感覚や考え方の言葉を見つけると、ああ、それに関して私は違うものを感じたよ考えたよ、と表明したくなる欲というのは、あるっちゃ、ある。/ だけど、自分の感じ方考え方を全てだと錯覚して誰かにも要求するようなことはしないようにしたい
やはり、ルードボーイズかっこ良い、良すぎる。スモーキーが、夢を見ることについてなど、何かしら哲学的なことを言う、やたらカッコいい感あるのは、そんな哲学あるのに空を翔べるという身体能力によって「いったい全体何者なんだ」と私に思わせるせいだった。(2017.9 HiGH&LOW)
良く見もしないで批判している人々(過去の私自身を含む) が、気がつくとなんと多いことか(我ながら恥ずかしい) /あ、いま私が、よく知らないことに抱いているイメージも、いつ将来の自分に嘲笑されないとも限らないか…。
その著者(二条)が、自分が白酒好きだという嗜好を、部屋に隠れてた彼氏に知られてしまい、超恥ずかしかった!もう死にそうって思ってた!みたいな表現あるんだけど(「死ぬばかりにおぼえてゐたるに」) 昔の人でも「死にそう」とか大袈裟表現してるなあと思うと可愛いね、って話になった
虐待した人への罰は軽すぎるから、例えばもっと体の大きい強い係員に、殴った罪には殴るとか、餓えさせた罪には餓えさせるとか、あわせた目にあわせるようにするぐらいしてほしい。/ それでも足りない。一番愛されたかった人間からしいたげられるのがそんなことじゃきっと済まないと思う
親孝行できなくてごめんって言われたら、生まれて育ってくれただけで既に親孝行だったよって言う。本当にそう思ってる / うん、生まれてくれただけで親孝行(ドラマ『今日の日はさようなら』の感想として)
追伸 自分の言動が子どもの心にのこすものはとても大きいことは忘れないでいたいけど、私が子どもの人生を作ったなんて傲慢なことは考えたくないと思いました
そうだよね、途中下車できないなら車窓からの眺めを楽しみたいね(2016秋 フォロワーさんへのエアリプ)
震えるほど感動した作品や物事を語っても、それが必ずしも他人にはそうでないことが多い、このことは頭では分かっていても寂しい 好きなものや好きなひとがたまたま誰かと共通したとき、だからその奇跡に歓ぶ。
頭が良くなりたいよね。/ 頭よくて凄いね!って言われたいためじゃなくて、頭がよければ世の中全てのひとたちが頭よくなれるような何かを発明して、世の中全てのひとたちが優しく、且つ、そのままで幸せに人生を送れるような、画期的な何か方法を発明できる
(魔女・モナの物語)最初のうち、魔法なんてあるわけないとどこかで思ってしまう自分の頭の硬さを思い知らされてしまうけどそれを掻き回して解すの楽しいし/吉野弘っていう人の「生命は」という詩が出てくるんだけど/「世界は多分、他者の総和 しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず」
生田家の朝 最終回も生田家らしく面白かった。「こんなこともあろうかと」が可愛い。平凡な毎日送りながら頭の中で波瀾万丈を想像しながら尊い普通を生きてるの佳き。さとるくんとバカリズムさんの対談も毎日ほのぼのしてたし福山雅治さんの主題歌も良いしキャストの皆さんの演技も好き(2018)
特に「アルジャーノンに花束を」は良いよ。原作とはパラレルワールドだと思って割り切って観てみて下さい。バブみのある無垢な可愛さからシニカルで憎たらしい感じまで、幼稚な恋の嫉妬から聖人のような悟りの愛、闇から光まで演じ分けるユースケさん居ますよ… (ユースケoサンタマリアさん主演の)
ひっきりなしに泣いたので涙腺と頭が鈍く痛いの継続中 そんな作品を鑑賞すると自分が子どもに還ったようで何か脱皮したようで妙にうれしいんだ。(2014)
ひとにとても気を遣うひとが気を遣いすぎないようにと気を遣う様子を見てまた気を遣いすぎるひとを心配していすぎないように見えるように気を遣うのは程々の距離感と、自分の思う「善かれ」を絶対視しないことで全うできるかもしれない。
迎えに来てくれたら来てくれたでそれもめでたいっていう気に今はなってる。やっぱり生きてるのも楽しいし死ぬのも楽しいってことをわかりたい。身体を返したあとにも何かと楽しいことがあるような気がする
死神坊ちゃん アニメ第8話・坊ちゃんの弟妹はそれぞれ可愛いな…・雪の日のアリスと坊ちゃんの思い出、キュンッッ…キュンさせるにも程がある…なんだろうそのアリスのとてつもなく深い愛…それくらいあの日の坊ちゃんに救われた彼女だったんだな…
(コミック)死神坊ちゃん シャーデーの孤独にチームの皆がそれぞれアプローチする、カウンセラーでヒーラーでもある戦士達、メンバー同志の絆も素敵だなあ
おにーちゃんから歴史の勉強のひとつの方法を伝授されていた。例えばデジタル時計など、三、四桁の数字を見たら、すかさず、あ、7:25か、D.C. 725頃にはあのあたりの国に何が起こったかな、と思い出す癖を付けるといいってさ
歩きながら出た話「男の子が、女子のどんな仕草を好きかについて語るのを聞くのって、なんか嬉しいね」「そう!私も」「男の人も女の人をちゃんと可愛いと思うんだ、って安心する、かわいいよね」「その通り!」で、 女子が男の人のどこがカッコいいかを話題にしてたら、男の人も嬉しいんだろか
カメラを止めるな!』/ 途中チャンネル変えたくなっても、あの、それすごく分かるけどホント大丈夫だからね…あと絶対ネタバレとかしないし、しないで欲しい、お願い
"リアルのしがらみがないからこそ心だけで響きあえるの、それが楽しいのに、そういうことに重きを置かない人がいるし、そういう人に悪気はなくてむしろよい人だったりして、考えかたの違いとして片付けるよりほかない。 \r\n\r\n"
"何か心が切ないものを見たり聴いたりすると手の甲の血管が急にジンってなる。特に左手/たとえばドラマや映画とかで、誰かが誰かに、好きなのに「好き」って言えないでいるようなシーンなどを観てると、私の左手の甲の血管がすごくジンってなってぎゅーっとなる         \r\n"
「電力不足の心配したくない」っていうのはなにも、夜通しキラキラ照明で冷房ガンガンかけて踊りたい、っていう意味じゃなくて、電気の不足が即時、命に関わる事態が生じる場面、ってのが社会にはたくさんあるので。そこを想像してない人達が何だかイメージだけで自然なら何でも楽園とか思わないでね\r\n"
悩みがあると食事も喉を通らないとか言う、ホントにそうだ。しかも通らないのは食事だけではない。物事全部にたいしてシャットアウトしてゆく勝手に。五感がどこもかしこも。
おっさんずラブinthesky 7話も好きだなあ…四宮さんのこと益々好きになるし春田くんホント優しい…。そして7話にして私は「あれっ、成瀬くんってこんな可愛いんだ…?成瀬くんを応援してあげようかな…?」って気持ちになってしまったからね
入れ替わり設定の面白さを最大限に活かしてる物語、大好き。単に性別交代のレベルじゃなくて…二つの身体で二人分の人間の性格、考え方、感覚、人生、を演じる俳優さんを鑑賞する楽しみ。人間の個性ってちゃんとあるんだなと実感できて何か嬉しい\r\nhttps://t.co/FPwe9hUw6Z"
自分のお腹から出たのに自分とは違う世界を持つ子どもと、親という役どころじゃなくて出会い直したいけど、叶わない。
自分の無気力状態や、将来への不安といった、細かい悩みはあれど、いま私が幸せだなあと思える要素を一個発見した。言葉の暴力に晒され怯える日々から遠く離れられた、という事実。この日々を待ち望んでいたのだった。思い出した。
夢の中でさっきまであんなに謎の課題に悩んででもそれなりに解決まで漕ぎ着けられそうだったのに、スヌーズ付きアラームで全てリセットされて悔しいやら気持ち良いやら(みたいな人生の終わりを予感、それもまた楽しいと思える自分がいるとしたらそれは生と生の間にいるのいないのどっちなんだろう)
同じ言葉でもそれを一年前に読んで感じたことと今読んで感じたことが違うのを思ってる。今現在触れる言葉も、一年経ったらまた違う思いで受け取ることができるのかもしれない。
息を吸ってはいただけで「ああいまの呼吸すっごい我ながら上手!」とかって何にでも感動できるようになるとか
暫定的に考えた「みんなが幸せな状態になるための人体構造」 欲が満たされないときに満たされない状態もまた別にそこそこに楽しめる構造 自分ができない届かないことを他人がやっていたのを見たときに自分を棚に上げて喜べる構造 他人が苦しんでいるのを見ると生理的に自分が痛みと感じる構造、
誰にも厳密には解られない、私だけが感じた愛おしさや幸せの感じなのだったら、この感じ様を、宇宙の誰かが責任持って預かって欲しいのにな
あ、多分、掌が大きいのも高ポイントだなあ、もうだめ。あと、雛鳥に話す時の息継ぎの箇所とか、彼女に初めてまともに向かい合った時の息の吐きかたとか…はああっ (ノーカットで最初から全表情をゆっくり逃さず観た人からしか共感を受け付けられないわ)
あの作品でそれまで私が自分の好みだと考えていた(ビジュアルの)美醜の概念が覆された。美しいものがここにあってはっきり美しいと感じて夢中になったし、今も夢中(いや多分みなさんが想像してる感覚と違います、って誰も気にかけてないけど書いてしまう)
全ての人の言い分を超公平に聴いて並べてみせる絶対的な存在が居てくれて、分からないことがあったらみんながその存在にアクセスできたらこんな悩みとかなくなるのにな、
フォローさんの言葉でしみじみ思ったのは。いまの私を作ってる要素が遠い昔の色んな人から来てるということ。だから私の軌跡も遠い子孫や、血の繋がらない斜めや横の縁の人々にも何か影響を与えずにおかないだろうこと。かなしいような楽しいような。拡がって絡まって単独で取り出せない
この心のセンサーを撫でて柔らかくしてからもう一回だけ昨日の世界を見直してみたら違う色で見えるかもね。
のぞまれない役立たないことをするのは無価値だとは思わない。価値があるとかないとか決めるのはおこがましい。でも自分でそんな自分を好きだと思えない。いまやっていることをよしとできない。
「この親に何か打ち明けても過剰に反応されず、ただ柔らかく受け止めてくれそうだな」って子どもが思ったとき、言いたいことを言いたくなって言える、そういうのが、私が今更ながら気づいた、理想です。
寝る時間なのに何だかいろいろなことをつぶやいている方々… なぜ私とは違う場所違う身体で違う人なのか 切ないし面白いしありがとうおやすみなさい。
虫の一生は虫にとっては途方もなく長いんだろうか。天体の一生は天体にとっては束の間の出来事なんだろうか。
(ひとつのツイだけ読んでこの人はこういう人って判断されたくない(したくない)・他のも読んで推し量られたい(推し量りたい)、とも思うし。ひとつのツイで判断されるものだ・見えてる(見せてる)言葉が判断材料の全てだ、とも思うし。)←更に判断する人のその時の心理状態とか思い込みも絡むし。
ああそうだ、親族との葛藤を静かに乗り越えていく人が身近にいたのだった。たくさんの傷を閉じながらなお感謝にたどり着いた彼女の、言葉を沁々と私の心身にも浸して考えたい、いまの私をかたちづくったものやひとびとのこと
ひとの素晴らしさを嬉しく感じられたらられるほど幸せになれるのだろうに頑張る人の頑張りをたたいて下げようとしてしまう人は存在する・・・幸せを作り出せない人に付き合ってそこに留まるんじゃなくて、構わず頑張ってみせてあげているほうが、その人が歩き出せるための種蒔きになるかもしれない?
どうということないことを嬉しいと思える才能があればあるほど幸せになれるんだろうなと思う。同じものを味わっても美味しいと思える場合とそうでない場合があるけど思える自分を獲得できたらいいな
記憶は消えても魂は残る、みたいな物語をいま私が信じていたいのは、有限だからこそ輝くものもある一方で、今回失敗したって無駄じゃなく蓄積する何かもあると思ってみることによって気を楽に生きていける気分も欲しいっていう…
あ、記憶と自意識と魂と肉体は繋がってるけど別物で、息を引きとったときに分別されて行先が分かれるのかな?肉体は細かくなって一度自然に還り、記憶や自意識は消去されるけど、魂は宇宙のあの辺りに一時預りされるんじゃないかな?(作り話で心を休めてるだけなのでソースとかありません)
またはその全てが叶わなくとも、私なら、観られるだけでも幸せかもしれないし、聴けるだけでも幸せかもしれないし、そのどちらもできなくなっても、夢を見る脳が動かせて想像ができるだけでも幸せかもしれないし
思いを置くことで何が変わるのかなって思いながら思いを置いている人の思いは、きっといつかどこかで誰かが受け取って、直接返されなくても周り回ってどこかの誰かの背中を押していくと思うので。
そういう傾向ってもしかして、もしかしたら私は子どもを見つめ過ぎてたのかも知れない。それによって実は必要以上に子に気を遣われていたのだろう。見なさ過ぎも見過ぎもいけない。透明な布団になりたい
自分の綺麗なところだけを事後報告みたいに見せておくだけの付き合いは虚しいって思う。綺麗なところだけを見せておかないと嫌われるなんて違う、逆だと思うよ、って
誰かが一生懸命生きてる様子や誰かが一生懸命作った作品をこちらは少し離れて観て味わいながら、人生の残り時間を暮らしたい。それだけでいい。もう成長とか修行とかしたくない。だから誰の思惑も今後一切気にしたくない。って願う時間が定期的に訪れる
私のやりたいことを映画やアニメのなかのひとがやってくれてるからもう充分って気もする。
一時間前の自分も一ヶ月前の自分も一年十年四十年前の自分もそれぞれ似てるけど違う。変わってしまうし変わることができるなあ それぞれの自分、嫌いだったり同時に好き。あの人も、日に日に変わってる途中だろうなあ
真の動機を突き詰めれば色々あるのかもしれないけど、「善かれ」と思って育てられてきたのは間違いない。私の「善かれ」の気持ちも、意図せずに誰かを傷つけたりせずに、効いて欲しいところに効いて欲しい。
宗教がわるいんじゃないと思う。その宗教じゃなきゃだめという考えと、その宗教じゃなきゃだめという人を利用して喜ぶ考えが、わるいんだと思う。
ギヴアンドテイクじゃなくて本能的に誰かを喜ばせたいと思ったことがみんな一度はあるとしたら、やっぱり心はそういう仕組み、それを濾過して濾過したものに名前をつけたら「愛」とか「慈」とかになったんじゃないの?
過去数百回の涙に添えられる共通のト書き 「そんなつもりじゃなかったのに」我ながら超おかしい
でも、もし叶わなかったとしても、敢えてめんどくさい道を歩いて来たことは無駄にならないよ。本業にすっきり切り替え本腰据えて生きる気持ちになるのを私もじっくり見届けて行くから ってテレパシーであの子に言うと思う
素敵なひと素敵なものをぺったり触らずとも離れてでも見つめ続けて観て聴いて感じられる幸せ これを、知ってほしい。あるんだな、と、子どもにも誰にでも知ってほしい。これしかないとも言わないけど、知ってほしい
ひとのために祈れる自分を幸せだと感じられることを嬉しいと思い、ひとにお礼の祈りを送りたくなり、そのひとを支える世界に何かを送りたくなり、そんな自分を幸せなんだと思った。だから咲かずに散った桜にだってありがとう、お疲れ様。
これまでの回り道の意味を考えたり頭を切り替えたりするのはまだ先でもいいからさ。
だから自戒したい 親にどう思われるのかを行動判断基準にしてしまった自分のような人間を私がこんどは産み出さないように
独りでいても平気、独りでいる自分を見られても平気・・・そんなふうになりたくてなれなくてかなしかったので、そんなふうな子どもを育てたいと思った。
タイムライン読んでたら昭和*年*月のあのときのあの人の言葉の後ろにあった気持ちを静かに受けとめられるような気もしてきました。過去の自分には済まないけれど、いま私はあの人のことを当時よりは人間としてとらえられそう。有難うです
誰かを全面的に赦したり全面的に憎んだりなんて簡単にはできないことを知っている人は、人類のことを本当は好きなんじゃないかなって思いながら、昨日の脳内夫婦喧嘩における自分を叱っています。おはようございます
何かしら心の中に懸案事項が存在してるとき敢えて全くジャンルの異なる感動に触れたい気分
こどもの頬っぺたは後ろ斜め45度から見るのが好きです 生きてる おはようございます。
でも誰かの間違いを今すぐに自分こそは正せるとか思ってしまうことも傲慢かもしれない 時が来たら、そこにのこる気持ちが何なのかわかるひとにわかってもらえたらいい
コーンスープの素がダマになってるところをほぐし融かしたくなるのと似てるかもしれない。結局、固まってるものやひとや考えを見ると私はそれをちょっと融かしてシャッフルしたくなる本能があるみたい。
あのツイやこのツイが歴史資料になる日、来るのかな
脳が疲れていると、受け取った言葉の善意を汲み取れないでわるく解釈してしまうことがある。よく寝て食べてから同じ言葉を再生すると、意味が違って見えることがある。
この歳になるともう、劣ってるとみなされることはそれほど嫌じゃなくなっていても、それよりも、自分がとても馬鹿な為に人の気持ちを間違って捉えてしまって不愉快にさせてしまってるのではないかという怖れのほうが身に迫ってくるので、青魚を今夜も食べておきます。ではでは
お疲れ様の握手をしたらやっと歯をみせて笑った。結果はどうでももう充分だからふっ切れてる、と彼は言った。思わず私は泣きそうになったけどこらえた
子どもの体調の無事な経過に夫の表情がほころぶ。そうか、私と同じ安堵感が彼の胸に満ちているのか。だから、お互いに理解しあえないことばかりなのに、一緒に居られる。
「こんなにひどいめにあいました!あっちの言うことは全部ウソです!」と先に大声で叫んで世論を覆えばもう一方の声は消されてしまう。それをおそろしいとおもう。国でも団体でも個人でも。
私がこう言えば安心してもらえる、私がこうしていれば安心してもらえる、・・・私の言動が彼女の自己承認になっていることを物心ついたときから感じていてそこに上手に対応していたつもりになっていたのだから、もうそろそろこの役を降りてみてもいいんじゃないかと。
確かに誰かに愛されたのでいままで生きています。
ひとの笑った顔を思い浮かべてそのせいで自然と顔が笑うたびに、ああそっかこういうことがあるから産み出されたのかあ、って気づくように思う。
人間て地層みたい。知られざる宝物とか埋もれてるのでおはようございます。
いま頭の中に流れてるこの音楽を、即みんなに聴かせる(迷惑な)製品はないんだろうか。
受験っていう修行の経験は、学歴をもたらすだけじゃなくて、成功しても失敗しても、予想外にたくさんのものをくれる。持久走だから。いろんな不安に負けずに頭と身体と心のコンディションをその試験当日に最適化する訓練、今後もあらゆる場面にそれが活きる。
運命か前世の因縁か赤い糸か、そこは分からないけども、物語のなかで水と火のような誰かと誰かが意外な出逢い方を経てお互いを補完し合う関係になっていく様子を観るのがとても好きな者です
誰にでもできるような仕事に見えるような仕事をするのにどれほど実はいろいろのものを乗り越えてしてくれているか。そのおかげで私も生かされているし、それを見ている誰かがきっといるのでおはようございます。
挑戦してるひとを見ると泉が湧くような思い。自分の山を一足ひとあし登ってるのを見ると、私も私の山を一歩ずつ登ろうって思う。
処女であることと童貞であること は、捨てるべきことでも恥じるべきことでも捧げるべきことでもなくて 相手と自分の幸せを考えたとき自ずとなくなったりなくならなかったりする属性のこと。
人格否定されても平気でいられるように、バックアップの人格が保存されています(どこにしまったか覚えてないけど)。
全く相容れない二つ以上の感情が彼女を前にするとわきあがる これも私をかたちづくるものなのか
子どもらしくあまえたい時代にあまえられなかったら大人になりたくなくなっちゃう
でも、せっかくだから嬉しいことを数え出してそれを生まれて初めて見つけたみたいに喜んで暮らしてみようかなー。
あのうらめしいことした人も、この世から舞台袖に引っ込んでカラダを脱いだ瞬間に「いやあ今回この悪役はホントまじで勘弁してと思ったよ。役とはいえ悪かったね」とか言って私に笑いかけたりしないかなっていう願望
身体が無かったら人生の楽しみ半減だわ(ってお腹痛いとき呟く練習)
大丈夫?って訊きたいし、大丈夫だよって言いたい、けどそれを言いたい相手が大抵はその言葉に応えたくても応えられないで苦しむ人だったりするから、言えない。っていうときにどうするかなあ。スルーしてません。見て感じたことを貴方に直接お返しはできないけどどこかに誰かにまず自分に還元したい。
今すぐに届かなくても時間が経ってから届けたい人に届くかもしれない。置くのは無駄じゃない。
聖書も仏典も同じ事象のことを違う角度から違う表現で喩え話にして見せてくれてるんじゃないのかなって思っちゃってるので私は
友達の知人に、子供に電子機器を使わせまいとする親というのがいて、まあその人の信仰に口出すことは出来ないけど…「あれは不自然=悪」ていう勝手な線引き、その宗旨を子供に強制するのはちょっとこれからの時代に一層、虐待めいているなあと思い出した
そっか、褒められるより認められるほうが、伸びるのか
子どもの身の上を、子どもと一緒になって心配しちゃって、いつのまにかそれを自分の心配に変えてしまって(横取りしちゃって)るからだめなんだろうかなあ私は…そうかと言って信じきるにはあの子は経験値少ない割には思い込み激しいし
目の前の楽に目がくらんで将来の自分に付けを回したり目先の体裁のために大目的を見失ったりしてるのを親としては見過ごし兼ねる。って互いに目を潤ませながらの話し合いに一日を費やす。そして互いに消耗する。互いに苦しい。互いに不安。いつか笑い話になるのが待ち遠しい(平成のある日)
いろんな思い出をすべて幸せの材料に煮込んでしまえるといいなあ
もし私を気に入ってくれる人がいても、私が自分自身の気に入ってる部分とはまた違う部分を気に入ってくれるかもしれない。それでも嬉しい
緩すぎずキツ過ぎず生卵を壊さず手で持つように着かず離れず
その旅立った人はまわりまわって間接的に私の一部にもなってたのかもしれない。
きっと思った以上にあの子は大人だと、思いたい。きっと、結果を受け入れる力は持ってる
いまいろんな人の脳裏に浮かぶものはその人だけのものだけど、そこに、私も知っている(知るかもしれない)なにかしら共通キーワードが混じっているかもしれないことを思うと生きてて面白いな。おはようございます
90年代終わり•平成始めの頃のTVドラマを振り返り観て、当時はスルーされ寧ろ善かれと支持されていた登場人物の家族観やパワハラ体質など時代の感覚を反映した言動の横暴さに「嫌い過ぎて泣けてくる」って言った若い人。その違和感こそ、平成30年間余りで社会が少しは進んだことの証なんだな…と思い
ネット記事でも週刊誌でもなんでもそうだが「関係者によると」の関係者はどこの誰なのか明記する規則があっても良いと思った。そのどこの誰だか居たか居ないか分かんない関係者の話が、誰かの人生を左右してしまう
私は、少し程よくわがままマイペースな、自分の楽しみを追い求めるような、そんな親でいよう。そのほうが子どもはからすれば安心だとつくづく思うし、普段は思い切り親を忘れてくれてるほうがこっちも安心するわ
ちっちゃい子供という生き物が泣くのは、自分の心身状態をうまく言語表現できないから、もう親にも誰にもどうにも分からないし、どうにもできない時が多いね。泣き出したら退室出来る(すべき)な場所というのも確かにある、けど、移動手段の空間内での泣き声についてはね…大目に見られたい
もし仮にわるだくみ大王がライバル国に何か仕掛けるとしたら、その国民がその国やお互いを信じられなくなるように、反目し合うように、巧妙に仕向ける。…っていう手を使うんじゃないかな。全てを信じるのも全てを疑うのもどちらもそれぞれあぶない。
すべての人の記憶が保管されている場所が宇宙にあるっていう人もいるけども。/じゃあ私がちょっといけてなくても誰かがいけてればいいんだ。
古代の人が見たら魔法にしか思えない技術が、いま当たり前のように身の周りに在ってくれるありがたい。そう思うと…いま魔法でしかないことを当たり前にやってるのかもしられない未来社会、も見てみたい気がする
夫と私はお互いに感じかたも好みも何を大事に思うかも相当違う。少しの共通項をたよりに結婚生活を続けるのは時々涙腺にくるけど、意外な利点としては、子どもに二つのまるで違う人間サンプルを見せておけるってことかな。
「あなたの為」「あなたを愛してるから」の言葉のもとに行われる支配はズルイよ。
ついったや、ついった以外の場所でも、「同感!ああっこれって私のことだ!」と思える言葉に出会ったりするけれど、でもその人は自分じゃない。自分じゃないんだ気を付けよう、でもパズルの一面だけがピッタリ合うってこともあるのかもしれない
ある宗教教団では、教義や幹部に対する内部批判をおさえるために「疑いを持つのは、信心を妨げようとする、魔の仕業。その魔に克って信心を拡めることが世界平和だ」ということになっているようだ(上手いやりかた)
何もかも面倒になってしまった日のお薦め遊び 今、自分が見ている色かたちと、触っている香、音、味、全部が1000年の時間差でどこの誰とも分からない異次元の自分に中継送信されてその脳内の奥深くに降り注いでいるのだと、想像すること。
どっちだって誰も気にしてないことを私の脳内だけが大会議で白熱議論
求められるのは幸せを自給自足で感じられるスキルかもしれないなー
物理的に離れてみたことで優しくなれた、ってことは多いんじゃないかな、と
この道じゃなきゃ他はもーだめだ…みたいな融通利かなさがかなりまずいんだと思った
その人たちの、自分が選ばなかったほうの道を貶す動機は、嫉妬なのだろうか。自分が選ばなかった道を誰かが代わりに歩いて見せてくれたんならそれはそれで良かったじゃないでしょうか。そっちはどう、そっかあなるほどね良かったね、で終わればいい
他人が選んだ道を貶さなくたって自分が選んだ道が良かったならそれでいいじゃない。どのタイミングで試練を経験するか、どれがその子どもに合ってる環境なのか、皆それぞれ違うんだから
100万回生きたねこ』の最後のコマまでゆっくり進みたい。
されていやなこと、平気なこと、嬉しいこと、って人によって違うよね…。
どう考えても、いま人間が考え得るここの宇宙の外側って、誰かの細胞のひとつの中にあるちいさな仕組みのひとつに過ぎない気がしてくるし、その巨人が誰でどんな存在だろうと私にはホント何の関係もないんだよ〜
お客様は不満があったらクレームの電話をかけてくるけど、満足したからって「満足してるよ!」とかいちいちかけてくれない。それは当たり前だけど寂しい
親が子どもに対して心配してる心配してるをアピールし過ぎると、子どもは却って弱さをしまい込み心配かけまいとして心配される余地のない自分をアピールしてくるから気をつけたい。
幸せでいることが親孝行だよ
ただ、たまたまこれを見てくれた人が覚えておいてくれたら幸いなのは、世の中には、心配事をわざわざ大きくすることで壺や本や人気を売りたい人もいるかもしれないってことで、しかも上手にマインドコントロールするカルトなどはいつもどこかにいるよ、ってこと。
いま改札を急ぎ通過する人々ひとりひとりにきっと鞄の重さとか色々
もしも、今生きてる人生が全く同じ人生を一万五千回以上繰り返してるのだとして(ただ記憶をリセットされてるから気づかないのだとして)それを把握してる誰かがいるとしたらその人とお茶を飲みたい
昨日の雨とさっきまでの雲はこのお日様恋しさを高める演出だったかー
Aに偏ったひとに向けてBの視点を、Bに偏ったひとに向けてAの視点を、見せたい、っていう衝動にかられている私自身はどちらに決めることもできなくてどの派からも疎まれること多々あり、しかもそれを気にしてしばしば引きこもるってゆうしょーもなさ
私は、恵まれた環境で子育てしてたほうだと思う、でも上の子を育ててた時にしばしば気持ちがなぜか追い詰められるような…自分でもどういうわけだか分からなく心の整理もつかなく些細なことで子供を叱っては自己嫌悪になって泣いて…喉元過ぎて熱さを忘れたけど、ああいう日もあったことを覚えていたい
無償の愛を渇望している人が世の中に居過ぎる。とにかく貰いたい人、とにかくあげたい人、全部合わせて80億人
前世の記憶を失くしてから生まれてくるのは、ネタバレ無しの新鮮な気持ちで泣いたり笑ったり悩んだり感動したりしたいから、それが醍醐味だから、わざわざその為に記憶をリセットして生まれてくるんだ・・・ていう趣旨の言葉を最近どこかで見かけて成程と頷いた
君たちは欺かれているんだ。と言って欺く手口のカルトがいくらでもあるからねー
一部分しか見えてないけど少なくともその見えてるところが好きなんだから好き。一事が万事って言うし
そうですね…遠くから近くから、上から下から中から外から右から左から表から裏から、見てみる練習 がんばってみます。また明日
叱ってるようで実はただ怒ってるひと、子どもが「ごめんなさい」って言って涙をこぼせばとりあえず満足なのかな
喜んでいる自分を喜んでくれる誰かがいてくれたおかげで、いま、誰かが喜んでると喜べる自分でいられるのかも。
昔々 親の用意した服を着て親の用意した食事をたべ親の用意した家で寝ていた頃のこと。心からホームレスになりたかったことがあった。親類縁者の期待や何やかやの思いからなんとかして自由になろうと。いまおもえば笑止なことだけども真面目にホームレス生活を夢見ていた
ふっ と自然な笑みがこぼれるところを少しでもたくさん目撃したい
なぜ、私にしか成し得ないことなどこの世にないほうが気楽、と思うかというとじゃあもしこの世に「私にしか出来ないなにか」があったとする…それ私が死んだら終わりじゃん。すみません、私はいつか死ぬ人なんです不死身じゃないんですよ、ってなるんだ
子どものことは何でもかんでも親が仕切って決めてやらなやきゃっていう人がいたけど、あれは子どもを育てた自分のことも信用してないからなんじゃないかなあ?
男の子を見守るときは、トイレの個室を上から覗くんじゃなくて、ドアの外でそっと待機し、必要があればトイレットペーパーを投げ入れるくらいのスタンスで
あの人がキツく当たってきたのは常に自分の価値を認めてもらいたかったかららしい。攻撃は最大の防御とばかりに。
帰路 意外と大丈夫だった。年月が経てばあの頃同じ時間を過ごした縁の不思議さのほうが重大事になっていて案外楽しく過ごせてしまった。
頭の中を割って見せ合えないという仕組みが「いったいなんなの」と思うけど、そのもどかしさを味わうために頭蓋骨があるのかな
何かが怖いという風評が定着することによって稼げる商売の人々が、世の中には存在してて、その不安を煽ることで地道に事にあたる人を邪魔する。世の中で怖い怖いとされているものは、どの程度の量がどの程度の時間なら人体に危険なのか安全なのか正確に知る必要がある
とりあえず、帰宅した子どもの口元、とりわけ口角が上がってるのを見ると、まずは安堵/口元を手で覆ってじっとしてたから、心配になって、どうしたのか聞いたら、自分が作った楽しい妄想に吹き出しそうになるのを手で押さえていただけだと言う。
喜んでいる自分を喜んでくれる誰かがいてくれたおかげで、いま、誰かが喜んでると喜べる自分でいられるのかも。
おんなじ祖先からみんな生まれたらしいのに不思議だ。おやすみなさい
全世界いっせーのせ!で同時に核兵器やめられるんならいいのに。あくまでも全世界が同時に。
おトイレに入ってるところは普通は見せたくないし見たくない。ドアに鍵はかける。でもおトイレにいる人が嫌いなわけないし自分も当然入るしみんなどんどんトイレに行こう。みたいな?
ただ、目の前でトゲが抜けなくて痛そうなのを見たら、こっちまで痛い気がするし、抜いてあげられるのなら抜いてあげたいと思ってしまうし、目の前で誰かがおいしいものを食べて嬉しそうなのを見たら、こっちまでおいしい感じがして嬉しいし
自分が、痛い気持ちになりたくない、おいしい感じを味わいたい、だから、目の前にいる人の目の前の状態のことが気になる
そうか、あれだ…命ある身体って、誕生日に暖簾分け独立した「有限会社誰々」ていうチームだから、同一会社だけど構成員たる社員は代替わりしてるから、創立当時を当の中の人が知らないってことか。引き継ぎ資料は主に脳の中そして社風に残っていく
うん…やっぱり私は恋人のどんな状況をも我が事として感じ愛し包み込む心意気のある人のことを、男女問わず推したい
恋です ヤンキー君と白杖ガールが互いに相手の置かれている境遇への理解を深めようと向上心を発動している姿が大好き
ドラマとか映画に出てくる男性が彼女の妊娠を知った時に自分の子かどうか疑うことなど露ほど思わず手放しで祝福歓迎する場面とか観ると私は褒め称えたい…全ての人類はこうであれと思うのだった
映画「九月の恋と出会うまで」の彼がとても良かったという話の続き。私は単に恋に不慣れな人が好きというわけではなく、不慣れ且つ、自分への見返りよりも利他の心を持って必死に恋人に尽くすべく、不慣れなりに奮闘する人の姿を愛でるのが、私は好きなんだと分かった
記憶データを外部に遺す安心感を支えるインターネットサービスにありがとう/曖昧な記憶から生まれて長く遺る感情をどこまで信じていいのか/記憶されない誰かの意思の集合が世の中を作っている
生身の身体を持って人と人の世で経験を積み重ねた総合的な命は単にデータの集まりとは違う…と思う一方で、だけど別に私じゃなくても構わないデータの集まりだと思いたい、という考えも私にはあり、
なんでそう思ったかの具体的なことと紐付けずに何か「思った」という脳内データだけを、私という歴史や肉体から離してネットに預けてどこの誰だか存じない人がいつか見る、…ということも実は私にはなんだか安心することではあるんだ
その時時の思いついたことを、これは要るこれは要らないの分別もちゃんとできないままトランクルーム的にbotやブログに放り入れるが、整理はされてないから、自宅と同様、散らかるし人様をお呼びできる部屋にはできないまま(このスレッド含む今朝の呟きも取り敢えず日記とかに入れる)だけど
問題なのは、具体的な事実という情報ソースを参照できないのに、まつわる思いだけがずっと残っていること。本当は嫌わなくても良かった人へのキライという印象だけいつまでも持っていたりするかもしれないおそれ。子供の頃の記憶なんかあやしいから、怒られてイヤだったとかの感情だけあるのは困るし
たかだか数年前のことなんかも私の脳が勝手に記憶を分別したあとは具体的なことを憶えてない、だけどその時の感情…好きだとかつらいとかそういうの…だけが後々まで強く残っていることがある。君の名は。に出てくるアレみたいに、今朝見た夢の中で感じたことのように
だから何か鑑賞して感動したことや何かとても心の動いた出来事を私の脳が「いま差し当たりこの情報は使わない」と勝手に判断して保管期間をどんどん短くして削ぎ落としているらしいことが悔しく哀しく恐ろしい。抗うには何か書かずにいられない。15年前に隠したヘソクリ万札がまだ見つけられない
人が人を救うとは何ぞやといったことが仮面ライダースーパー戦隊シリーズなどで描かれている、そんなヒーローの無償の人類愛精神を観て思う…誰かが人知れず人を助けていることを、誰がどこで何をどう助けていたか知らずに無事に我々生きてることだけでも覚えていないとな…ってなる
特撮シリーズは、ヒーローを全うする人物が、何の為に誰の為に何をどう守るのか選ぶ際に自身のことより他人の幸せを優先してしまうものだが、観てる側(救われる側)としてはそんなヒーロー自身も幸せでいてくれないと悲しいから、彼(彼女)を支える友なり相棒なりがいてくれるとホント嬉しい
特撮ヒーロー作品の、とある最終話とその前の数話を観る機会があり、その影響を受けて空想してた…この現実世界は実はつい最近、破滅してて、それをどこかの救世主がリセットして破滅前の時点に戻す作業を頑張ってくれてたんだとしたら、その救世主を私らが覚えていないのは凄く悔しいことだなと
このアニメ、好き…ものの見方をぐるんぐるんと変えさせられる楽しいアトラクションだった…四畳半神話大系…最終話を観た目と頭でまた1話からおさらいするのも面白そう。あとなんなら小津目線のパラレルワールド達も観てみたい気がする
トクサツガガガ 推しを持つヲタクだけでなくジャンル問わず心に好きなものを秘めながら分かち合いたい心理、全ての人類に響くお話。推しから貰える豊かなイマジネーションや人生のヒントや勇気、他者の宝物に対する尊重…年齢性別も、人目も、関係ない…自分と他人の「好き」を愛そう…"
昔、会社勤めしていた新人の頃、自分に任せられた仕事をしっかりこなしたくて昼休みも削って作業していたら、「そういうことをするとこの会社の為にならない」と先輩に叱られたの忘れられない思い出
自分一人じゃタイヘンであることをタイヘンだということを周囲に積極的に示していくのは、後続の人々に何かの学びを促すためにも、その職場の仕組みを改善する為にも、有意義且つ必要なことだと思う等
一人でやるには限界がある、ので、このように他者の協力があってよかった(あればよかった)等の事例を後々の為に残すと、それも社会貢献だし、一人の人間が全力ふり絞らなければ回らないような仕事の仕組みってサステナブルとは言えないから自分の出す力を七割くらいに敢えて留めとく
最近、家族以外の人とあまり会わない生活の中で、自分の容姿を気にしない時間が増えてて、この心地よさってTwitterやブログで互いに「どんな顔、どんな体型、何歳の男、女、…」などの余計な情報無しに思いだけをやり取りしてる心地よさと似てるなと思った(2021.8)
アラジンのアリ王子のお通りなど聴いてて楽しくて思ったのは、ディズニーアニメ音楽で私の好きなとこは…その物語の舞台になってる場所や時代の音楽と、ノリの良い現代音楽が、絶妙に気持ちよくミックスされてるとこだなあ
出先で買ったペットボトルの飲み物の蓋が殺人的な固さで開かないので死ぬかもしれない。通りすがりの人に頼もうとまで…でも思い直してもう一度渾身の力を振り絞って開けることができた。飲む前にこんなハードル設けなくてもじゅうぶん美味しいから開けやすくして欲しい…(2021.8)
新人に引き継ぐ人に考えて頂きたいこと…ご自分がその仕事を始めてやるという立場に立ってね…もう慣れ知ってることでも新人には全て初耳ワード。分かってる操作も説明なければ知る由もない想像外の件ばかりだった筈…積み上げた貴方の記憶をリセットし如何に新人目線に立てるかの能力を発揮してよね
また、「ワクチン接種後の心配なニュースは出回りがちだが、ワクチン接種2回完了した多くの人達が新型コロナの重篤化から守られたり後遺症から守られたりしたことについては、目に見えないからなかなか報じられない」ってことも話した
ドラマや舞台や映画や小説や漫画や…ストーリーを作る人ってすごい…登場人物をよくよく設定作り込んで、まるで各人を生きたような或いは育てたような理解で各人の思想や思考を決め、その人ならこんな時こう発言してこう動く、と、彼や彼女らを交わらせて物語の筋とテーマと矛盾無きよう絡めるのは
(ドラマ・天国と地獄)熱と光が彼の頑なな心を溶かすのとか彼女イコール自分なのとか好き過ぎるってことを…ふせったーに忘れられない好きなとこ追記し続けてるんだけど文字数が3700超えとか我ながらおかしい https://t.co/opLS2TEewF"
仮面ライダーオーズ(※最終回も映画も、素晴らしい!)に出てくるアンクの話に戻るんだけど、アンクの髪型とてつもなく様々な要素が集まってて笑う/大好き。くるんとしている部分、真っ直ぐな部分、編み込まれた部分、剃ってある部分。これはアンクの考えた最強の髪型なんだろうか…とても良いとしか
朝顔さんは仕事を通して様々な人々の、生きてきた人と遺される人の、人生を見つめて繋げるし…桑原くんや平さんは仕事を通して、人が安心して生きられるよう人を守るよう頑張ってるし…そんな朝顔さん一家のひとりひとりもまた懸命に生きていて、お互いにお互いの命を見つめて守って繋げているの
自分が投票した候補者が落選したからってやさぐれてはいけない。当選した人達はみんな誰かががその人達に票を託したんだから…公平な選挙にてそうなったんだから自分が望んだ結果じゃなかった時も人々の選択を認めること、マスコミさん宜しくお願いしたい。当選した人をちゃんと民意と受け止め応援して
人生を深く勉強するサークルに入った筈が、洗脳され財産を吸い上げられ世間を敵と思い込まされ殺人も人類救済のための善きことだとマインドコントロールされ教祖を利するだけの教義を守るために人権も失い個人の幸せとは程遠い無差別テロの兵隊となってしまう…そんなカルト宗教教団の怖さを垣間見た、
こんなにいろんなこと考えたり思ったりして生きてきたのに、いつか自分はこの世にいなくなるってマジなの…おかしい…
我が子のことを自分の作品や分身のように勘違いしてる人がいるけど、よくないよね…子供は親とは違う人間として、その子の視界から親の知らない人やモノから学んでいくんだからさ…
欲望を、生きるモチベとして全面肯定する者もいるし、欲も夢も全て無に帰してしまうのを理想とする者もいるし、他者の欲を利用し暴走させることで生きる者もいるし、人類を生かすという大きな欲しか自分の欲を持たない者もいるし、で欲望サンプルあれこれ揃った番組だなあ(仮面ライダーオーズ
仮面ライダーオーズ/人が人々を助けることにまつわる諸問題…自分の手の届く範囲で行うことの大切さ…善かれと思ってすることが裏目に出るかもしれないことを覚えておくなど…とっても勉強になるよね…
あと、このそれぞれの身に起こった出来事を通して、お互いを通して、本来なら関わるはずのない人との交流を通して、等で…ものやヒトへの捉え方を拡げたり緩めたり成長したりし始めてる様子。日高にも彩子にも人間の変化の可能性を見せてくれる予感がして面白い(天国と地獄)
泣くことで責めたりしてるわけじゃないのに、泣くことが攻撃だと言われ怒られてしんどかったな/それで涙が止まらず、余計に怒られるんだから消えたくもなるよ(※過去の自分の話)
感覚過敏の方々の、一見我儘のように見える「偏食」について、私はインターネットがなかったら知らなかった。得られる情報が少ない人々には知られざる様々な人々の事情、を知って広めることが、世に良いことだと思い、記事をRTした。これもし知らないでいたら誰かを傷つけるかもしれない
私の祖父母~親の世代は、戦時~戦後にかけて食べ物が少なくつらい飢えを味わった人々が多く、ゆえに子供達への愛情は、高栄養食を沢山食べさせることに繋がり。また当時はアレルギーだとか少食とかについての科学的な知識まではなかったろうから…食事を残すこと=悪しきこと、糺すべきこと、となる
女性の中に話が長い人が多い傾向がある気が私はするし、こう考えること自体は罪にならないと思っているが、この「女は話が長くなりがち」説はあくまでも私の狭い観測範囲から導き出される私の感想による偏見であって、それを公に話すことが不適切な立場の人間が公に話してしまう意識の低さを見ると不快
人々がまるで息をするように画面の録画を自分の言葉の補足素材として使ってい過ぎる。載せる権利が自分にないものを載せるっていう、SNSでこれまでそんな文化が積み重ねられてしまってるけど…。それは著作権の法律違反だと知ってテキストだけで伝えようっていう空気がもっと醸成されるといい
彩子(の魂、身体は日高)が、泣いたり笑ったり凹んだりホッとしたり八巻を相手にテンポ良く意気込んだり日高(の魂、身体は彩子)を憎んだり恐れたり不条理に打ちのめされたり哀しんだりするその、全ての表情(演…高橋一生さん)とか台詞とか愛おしくて繰り返し観たくなる #天国と地獄サイコな2人"
リモラブ/5話~6話辺りの展開めちゃめちゃ刺さる…。SNSだけで繋がっていた相手のリアルの像を知る、逆に自分のリアル像を相手に知られる、ことへの戸惑いhttps://twitter.com/komisokabot2/status/1349168189343584257?s=19
生きるために酸素や水と同じくらいに大切な電気
気象現象系の美しい写真をアップしてくれるフォロイーさんの空や雲など拝見していて、いつも不思議だなあと思ってること…地球の周りにある水蒸気や大気の層が、時間や状況によってこんなに彩り豊かに見えるのホントに不思議で大好きだな…私の中の「いろんな色が好き」というツボにくる景色
いろいろ見て思うことは、「大企業」に対し、自分とは全然関係がない雲の上の人間の集まりだからいくらでも槍玉に上げていいと思ってる人も結構いるのかなあ。企業に勤めている人々にも家族がいるし、企業の取引先の会社の従業員、その人達にもまた繋がってる人達がたくさんいるんだし
と同時に、私が結婚や子育てを始めた時代(平成初期)のあの頃にモヤモヤしたあらゆること…働き方と家庭・家事分担・性別からくる世間からのプレッシャー・出産時の苦痛軽減・等について、逃げ恥から「こういう意識が皆にあればよかったよね」の提示をもらえた気がして(2021 逃げ恥スペシャル)"
効力が切れて使い終わった使い捨てカイロを、ごみ箱に投げつけるように放って入れるとなんだかカイロが可愛そうで心が咎め、そっと入れてみる、…みたいな感覚、私にもあるけど意味がわからないや。どのみち焼却されるのにな
心の中も表情も相手に見せたい部分だけを限定的に見せ合っているからこそ心地良かったSNS…そこから恋が始まった二人が、今やもう、心の中身を相手にすぐにきちんと言わないことで擦れ違ってるんだなあ…リモラブ(2020.12)
あの子供たちそれぞれ、行動パターンも好みも得意も不得意も違う、私とも違う。なにを幸せと思うかも違う。けれど、だから、私はあの子たちに教わっている。貰ってる。一人では味わえなかったし考えもつかなかった人生を。それが時に面倒くさい。その分、嬉しい。
我が子や自分の小さいときのことを思い出して感じるのは、おもてに現れる言動が子供っぽくても、考えてることは大人よりも時に凄い高度や深度を瞬間的に出してたという。それを表現する術やタイミングが掴めてなかったけど
出会った情報に対して、想像力と謙虚さが必要だなあと思った。自分の知っていることや、生きてきて思ったこと、それも大事だけど、その自分の持っているものだけで推し量れないこともあるんだという気持ちも携えながらじゃないと、優しくはなれない
他人にとって何が不快で快なのかを想像し察する時に、よすがにするのは自分の中にある体験と感情の記憶、自分がそこから導き出した「幸せとはなにか」だから、参照する自分のなかが多様かどうかに左右される。そして限界も、どうしようもなくある。限界を自覚しつつ多様性を持っていたい。
こういった、色々なご縁で色々なものが心に浮かぶこれ自体ドラマ、これを宇宙には録画しておいて欲しいって思っちゃう
自分というものが在る、って思って安心したいときと、自分なんて別に無い、と思って安らぎたいときと、両方ある/いろんな場面で「じゃあなんで私はいつも自分の身体で朝目が覚めてんの。たまに別人になっててもよさそうなのに」とか思う
神様がいるかいないか…私は、いると思うっていうか、何を神様と呼ぶかだと思ってる。この世がこんな風に「在る」そのこと自体を神様って呼んでもいいし(私が自分でどうにもできないしそのわけも分からないこと)
でも、こうして彼女のこと反面教師にしてるけど、彼女は彼女なりに厳しい時代を必死に生きたんだとは思う。嫁姑の厳しさ、戦中戦後の時代の社会の厳しさ、潜り抜けてくるために子供もろとも外部との戦いに巻き込みながらストイックにならざるを得なかったのかも知れない
息子、割とどんなときでもどこかでマイペースに自分の楽しみを見つけてくる。そこが良い
ここだけの話、アイドルはそもそも「美形、ハンサム」ではないんですよね。ステージでの振る舞いや歌や踊りや作品での演技やギャップ萌やその他諸々の総合の魅力で「カッコイイ、素敵、可愛い」ですよ~
だから死後の天国って存在してて欲しいんだよ。あとでいくらでも報告し合いたいことあるもん。ここ地上でこんな夢を見てたあんな夢を見てたとか、目が覚めて見たらこう思ったとか、あの時はどうなることかと思ったよねとか、お喋りし合えたら楽しいだろうに
我が子より先に逝きたい、といつも思うと同時に、相反するようだが、「我が子が人生に満足して、あまり怖くなく痛くなくサラッと命を終えた。」という事実をいつか見届けて安心したい、という、叶わぬ願望があり、それを可能にするとしたら私は一旦死んだあとにまた霊魂だけ戻る必要がある
卒論/誤字脱字だけ見てくれと言われたのに、内容に感動してしまって私のヲタ心が「売ってくれ!お金を払いたい!娘だからとかじゃなく普通にこれ買うしかない!」みたいになった(***年12月
懸案が100?200?それ以上?ありそうなとき、その200なり全部を消化できそうにないと思って1個も消す気になれないよりは。全体でどのくらいあるのか知らないが今日は1個解決していこうの繰り返しでこつこつやって、翌年には全部クリアしていた、っていうほうが良いんだろうなあ
人が何かワクワクするものを見つけて楽しんだり喜んだりするのを、目撃するのが、私はとても嬉しい。何故なんだろ
生まれると人生が面倒だし、全ての悩みは生きているからだし、いつか無くなる滅びると思うと何もかも無駄のように思えてしまい、だから最初から生まれないように願うという願いが、未来では叶い過ぎて滅ぶのかも
でもやっぱり…「美味しいものもどうせ食べたらすぐなくなるんだから、最初から食べなくても同じだ」とは全然思えない
若い頃の私、何か人生で通るべきとされる経験の数々は割とただ通っただけ、喩えて言えば「行ったけど駅改札を出てない」「駅を通過しただけで車窓からしか景色を観てない」ことが多過ぎる気がする/残りの人生で回収されるのかなあ、いろんな伏線ね…
人生、肉体と意識が一緒になって催す舞台だとしたら、その演じられたものを見て誰かが何か感じて受け継ぐことがあるだけで、終われば舞台装置も役者も解散してどっかへ行く、でも舞台の記憶は誰かの中に残る
とある試験の記述問題の採点仕事をしていた時に思った。幾つかポイントをおさえて部分点を稼いでた答案が、語尾の不備とか誤字脱字とかいろいろ減点してゆくと結局0点になっちゃうのを見…やるせない気持ちになった。ちゃんと理解していたのに勿体無い。甘く付けてあげたいが決まりだから仕方なかった
歩道のアスファルト隙間に、久しぶりにたんぽぽの綿毛を見つけて思ったんだけど、昔の私はたんぽぽ綿毛を見つけるやいなや息を吹きかけていた。今はね…自然の風がきっと綿毛を散らすんだろうから私が手を下すまでもなかろう…と遠くから眺めるようになったので、自分の加齢を実感する
私の身体を通って出てきた子の頭のなかに、私の知らない世界があるのが不思議で面白くて、その中に一泊二日だけでいいから住んでみたいと常々思ってる。
どうして、日頃から、身体は要らないし心だけを交わらせたいと思ってるのに、人の外見に惹かれてしまうんだろう。表皮一枚の数ミリのバランスが何だってこんなにものの見方まで左右してしまうんだか謎
どういう状態が幸せかが考えようによって変わってて、体のどこも痛くないことが幸せだって今は思ってるけど、足に激痛が走っても舞台で踊れることが幸せっていう場合もあるし色々だわ。
他人の気持ちをとてもあれこれ考えてしまうこと、ある。私は、自分がとても鈍感なのを知ってて、私が気にしないことを他人は気にするのを知っていて、でもどんなことをどんな他人がどのように気にするのかはよく知らないから、おっかなびっくりなんだ。
なんか、特定の物質を量や程度を考えずにただただ恐れるのって、雨垂れが石を穿ってるのを見て雨粒を怖がるのと似てるかも。
自分以上に子供の、出来なかったことができるようになる、知らなかったことを知るようになる、瞬間に立ち合える幸せ、思い出してる。
ゼロだったところに生み出す1、価値がすごい
新しい環境にこれから馴染まなくてはならない、馴染もう、そう心に決めてその扉を開けたときに、そこに見える景色のなかに少しでも不安な何かを見つけては思い悩むの、そんなに完全を求めてしまうの、全てが安心安全であってほしいの、それはどこかで諦めてまずは踏み出してみよう
ちゃんと、その子なりのドラマ、その子だけの成長を見てくれるひとの存在、これ凄く安心と意欲をもたらしてくれると思う。子供の出してきた結果だけ見て他の子と比較して気持ちをそぐ人もいる中、見てくれるひとの存在が
自分がこうだから他人も皆こうだと思っちゃダメだし思わないでいるようにしている。色々な考え方と感覚があるのが世界の良いところ、いや良し悪しでなく、それが世界か。と分かっていても、寂しさが付いて回る。たぶん、いつまででも
まあ、それくらい、親のことを気にせずにいられるのは幸せだと思う。私なんて子供の頃、逐一の報告をせずにはいられない空気の中で育ったから。母というより祖母がそういうあれを。だもんで、私は他の子が羨ましかった。親に頻繁に電話などせずにいられる友達が。
あんまり心配の表明をされ過ぎると、無難なことしか報告しなくなっちゃうの、私がそうだった。なので子には内心めっちゃ心配でもリアクション控え目にしようと努めてるけど…なかなか(2014)
リモラブ、幸せ…あんまりネタバレしたくはないけどこれだけ許して…腹巻きのくだり、笑いしにそうになった。そして両思いになってリアルなお付き合いになってからもしばらくSNSで会話するのは気持ち分かるし、そのほうが言葉が出易いの分かり過ぎる…共感頻り(2020.12)
「遺したさ」この欲はつまり、自分、生きてて無駄な存在でもなかったんじゃん?と思いたさ、でもあるな
でもネットから自分の言葉が跡形もなく消えても、リアル生活で自分の気配が跡形もなく消えたとしても、この何十年かの決して褒められたものでない私の振る舞いや喋ったこととかが、誰かの記憶には分散して残り、それが僅かでも誰かの感覚を刺激したり考えをかき混ぜたかもしれないことが遺言に代わる
仮に明日この世を去るとしても私は、これまで色々な人々の反面教師になったり「なんだろうあの人…」と思われ誰かの心に何らかの影響は1ミリ位は(善し悪しにかかわらず)及ぼせたと思うので、意味有ったから悔い無し※でも我が子の笑顔は1秒でも長く見たいしあの番組の推しの出番は観てから逝きたい
子は私の知らない人間と仲良くなり、私の知らない音楽を聴いたり私の知らない土地を旅したり私の知らない用語を覚えて仕事したり私の知らないものを味わって笑って報告したりしなかったりしてくれる、これ幸せ
"ハカセの失敗 届いて即、読了。めっちゃ良かった…ハカセが彼の祖母とは違う思考のもとに生きられたのは大成功だと私は思う(2020.秋)"
光秀さん、そろそろ信長くんについていけない感じになってきてる…?友達になるなら公方様のほうが気が合いそうって思ってそう。だけど頑張って多方面に無駄な戦を生まないために働きかけててお疲れ様だね。信長くんはやっぱり帝さんからめっちゃ褒められたい人
ハマっている様々な娯楽も、突き詰めたら全て「無ければ無いで何とか生きていけるどうでもいいもの」だけど、死ぬまでの持ち時間(どのくらいあるか知らない)に楽しみがあればあっただけ良いし、どれ程に楽しめるか、その為の借りてる身体だし持ち時間だと思うから家族各々にも、その活用を薦めたい
時々ものすごく不安になってた。私の至らぬせいで子供らの可能性を台無しにしてきちゃったんではないだろうかと…けど、こうも思う。この不安は我が子に於ける自分の影響力を大きく見積もり過ぎてるだけかもしれないと
ところで、リアル人間関係でもネットでも、なかなか私と合う人がいない。趣味推しも、政治的なことに関する考え方も、家族とか友人との距離感についての感覚も、全部揃って私と一緒!って人、なかなかいない。全部一緒である必要はない。諦めが優しさなのかもしれない
自然界に様々な物質が存在してて、そこでヒトは生きてるけど、その物質との接触摂取がどのくらいの頻度どのくらいの量に達すれば健康にいいのかわるいのか、絶妙なバランスの中で生きてるので…紫外線でも塩分でも適量ってものがあるわけで…いま私が日常浴びてる自然放射線にしてもそうだろうし
ああ…フィギュアスケートの衣装って極限まで軽量化しながらこんなキラキラ…すごいなあ
三十五歳の少女の望美さんね…あんなにお母さんの「理想を押し付けてくる」ことに反発したのに…自分も周りに理想を押し付けてしまうことになるんだ、哀しいな…人は、世の中は、強さも弱さも併せ持ってしまってるから全か無かでは付き合えないって思い知らされちゃうね
どんなジャンルに対してでもそうだけど、ごく一部の人のグチをまるで多数派であるかのように書くという、推しとファンへの風評被害をもたらす暴力で生計を立てている人について、私は憎しみを覚える。対抗手段が「無視する」しかないのもつらい…名指ししたらアクセス増やすし、思う壺だから
志村けんさんヒューマンドラマを観ていてもつくづく思う。ひとがこの世に遺してくれるものって、その人が遺そうと意図した人の中のみならず、もっともっと縦にも横にも時間空間を超えて遺って繋がってくんだなあって
本当。もっと想像力を…。「自分の想像力には限界があるだろうという想像」をして「自分の想像では分からない他人の事情があるであろうことを想像」をみんなができれば良いのにと思う
交通整理のお仕事も、国会議員のお仕事も、傍目には分からない苦労があるだろうし、それぞれが他と比較できない尊い役目があるわけで…。どの仕事が可哀想とか、どの仕事の苦労を代わってやってみるべきとか、そういうものの見方は偏っていると思ってしまう
さっきの話、私の親は自分の思う幸せの形を押し付けるようなことはしなかったが、祖母の考え方には相当問題があり悩まされた。世代だから仕方無いところもあるけど彼女の場合は、子孫に「善かれを押し付けていないと死んじゃう」ぶりが常軌を逸していた。きっと自己肯定感をそれで保っていたんだろう
こう考えてしまう親御さん多そう。「異性と結婚して子を授かる」が最善だと言い、子に薦める圧…。親御さん自身がその幸せの形しか実感できないから、自分が実感できない幸せの形を我が子が選ぶことを良しとしないんだろう。この思考の親を持つ悩みってバイセクシュアルにかかわらずよくありがち
半沢直樹に出てくる半沢直樹って、銀行に居ようが、出向先企業に居ようが、常に顧客第一主義…自分が今置かれている立場の中で全力で顧客に善かれと動く…そういうところが私は好き
ウチの子の通ってた園でも先生が言ってたとにかくお弁当の時間は楽しいことが大事と。だからウチのお弁当箱は小さ目だった。好物中心に、確実に食べ切れる量だけ詰める。栄養バランスは必ずしもそのお弁当の時間内に満たす必要はなくて、長い目で見れば一日や一週間のどこかで補えればいいつもりで
レモン味のめんつゆは好きだけどめんつゆ味のレモンはそんなに好きとは言えない私は、しかしパイナップル味の加わった酢豚も酢豚味のついたパイナップルもどちらも大好きなのだった
"子供の頃に私にとって立ちはだかる壁だった苛めっ子も、いまこの歳になって振り返ると、奴も、ほんの子供でしかなくてウケる…ということは…子供が子供を苛めている様子が大人には然程のことに見えなくても、本人には絶望的な壁として立ちはだかっているということなんだよな…(2020 別アカにて"
たとえば冷凍食品を使う主婦あるいは主夫に対して何かしら罪悪感をもたせるようなことを言ってくる人がいる場合、そういう人に対しても「過去の国から間違って来てしまい、世の中の仕組みも意識も変わっていることを知らずに喋っているんだな」と思ってスルーしとけばいいよ
お腹が痛くなくなったからといって、次の日からすぐに仕事に復帰できるわけじゃないんですよね…。痛かった当日は、痛みと戦っていたから仕事にならないし、翌日に痛みが治ったとしても、戦っていた間に失われたものをリカバリする時間が必要。栄養もそう、体力気力もまだこれからでしょ
自衛隊さんが破傷風対策をして危険な作業をしてくれていることに、頭が下がります。いつもいつでも、人がなかなかできないことを黙々としてくれているのに、一部の人々から冷たくされる
自分には必要の無い、でも誰かにとってはとても必要なもの、それが集まってできている世の中
何でもかんでも手作りせざるを得なかったんだろうな大昔の人って…着る服とか…住む家とか…自分で材料を調達して自分で製作するしかなかった時代だったろうけど。過去の国からこの現代に来ちゃったお爺さん…もうみんな細かく分業して互いに様々なサービスを提供し享受してるの知らないのね。残念
自分の身体から出てきた子供達が、自分の知らない彼ら独自の宇宙をそれぞれ持っているということに、嬉しくて小躍りしたくなることってありませんか?
私にとって(あくまでも私個人にとって)理想の職種と職場環境の条件のひとつに、この身体という自然の要求に沿って行きたい時にすぐにお手洗いに行けるということがあり、これは優先順位が相当高い
太陽や地面からも自然の放射線を日頃浴びてるけど「原子力は、自然に存在する放射能ではない人工の放射能だから体に毒」というものが笑えないオモシロ説として世にあった。いや人工とか自然とかどこで区別するんだっていうね…程度の問題であって出処は関係ないから
人様の夢日記を拝見すると、人間の脳みそが映し出す世界の可能性についてしみじみ出来るので楽し。昔、私が朝に見た夢の話をすると親戚に「他人の見た夢の話なんて面白くも何ともないからやめな」と怒られたんだけど、私は私が人の夢の話を聴くのが好きだから他人もそうだろうと思って喋ってたんだ
また、誰かが他人を勝手な解釈で無理に自分の理解の範疇に入れ込み押し付ける謂わばそういう加害をする側は、それは善かれと思ってやっていることだから、加害だと自覚するのも被害者が跳ね除けるのも難しいし、本当はこうして欲しいのだと分かられるには何が要るのか…
「何かを忌避し過ぎてもっと深刻な別の被害を引き起こす恐れがあるようなことを発言した人には票を入れない」ことで世にささやかな貢献ができて良かったと我ながら思う
タレントが仕事で見せようとしている部分だけが、こちらが見ても許される部分であって。週刊誌に盗撮されるだとか、いつの盗撮か分からないような写真にあれこれ文責定かでない憶測記事を付けられ拡散されアクセス稼ぎに使われ風評を損なわれるだとかは、本来はタレントが堪える必要のないものだと思う
ギャップで墜ちたあの頃の自分を思えば、推しは「わざわざ買ってみた人にしか知られることのないあの一面」を持つヒトでいてくれても良いんだが、その意外な面を全部無料で公開はされていなくても、「どうやら、買った人にしか知られざる面があるらしい」ということだけ認知されて欲しいという私の欲
お茶の間から観ていたパブリックイメージと、MV等で知った意外な魅力と、のギャップに撃たれて墜ちてファンになったのに。ファンになってみると、その意外な魅力がお茶の間からも全世界からも認知されたら嬉しい等と望んでしまうの、我ながら矛盾していまいか?
いろんな過激派に通じると思うこと…自分が切り取りたいように狭い視野で見て照準にした「敵」…を撃つことにとらわれて、その蔭には自分の知らない多くの人々ひとりひとりの見えざる人生、見えざる生活、があることを、忘れてるor想像できないゆえに尊重できない。…そういう輩
アイドルがこちらに見せてくれるお仕事を見せてもらってこちらが勝手に幸せになっており、そういうことをアイドル様も幸せと感じてくれていたら幸いだ。…という応援のスタンスでいられることを私は嬉しく思うものであります
「アイドルは一般人じゃないからプライベートもコンテンツとして消費されてもあることないこと書かれても文句ないだろ」という考えも嫌いだし、「アイドルは理想だからプライベートも私の理想通りになっていてほしい」も無茶苦茶だと思うし、要はヒト扱いせずに搾取して支配してるってことでしょ…
あ、でも、家族との間でも私は、相手が私に見せたいところを見られればそれでいいし私か相手に見せたいところだけ見ててくれればいい…とどこかで思ってしまうところある…結局、最終的にお互い生きて楽しければいいってなっちゃう。なんかある意味どうでもいいと思い合えるほうが好きだ
多分、家族以外の方々に対して私は執着がなさ過ぎて冷たいのかもしれないし、冷たいと思われているかもしれない。あくまでも、相手に見せたい部分だけ見せるし、相手が自分に見せたい部分だけ見たいし、あまり立ち入りたくないし立ち入られたくない
自分も変わるし相手も変わる。変わる自分をさらけ出し続け、変わる相手を全部受け入れ続ける関係というものを、私の場合は、私の両親と私の妹と、そして今の家族(夫と我が子)との間には、築くことに成功しているのだが、
ということはもしかしたら、私ではない他の人もそれぞれ、昔の彼(彼女)とはかなり別人のようになっている可能性があるな…と推測する。あの頃どうも苦手だったあの人を今は苦手じゃないかもしれないし、逆もまたあり得る
若い頃の私、結婚した頃の私、子育て真っ最中の私、最近の私、は、どれも私だけれど、言ってることや考えていることや関心ごと等どれもかなり違う。昔の私しか知らない人が今の私と喋ったら、多分「は?こんな人だったっけ?」ってなると思う
ので今も、昔の自分の陥っていた思考を戒めようという気持ちが強いからか「○○というものは、何でもどんな場合でも悪いんだ(良いんだ)」という考えを見ると、それをちょっとほぐしに行きたくなるというわけ
Twitterを始める前の私は、添加物はどれでもどんな量でも身体に悪いと思っていたし、大手企業はどこでも人を騙していると勘違いしていたし、買ってはいけない系の話を信じがちだったし、国のやることに対しては批判するものであって理解するものではないと思っていたし、今よりはるかに単純で浅
そしてそういう「○○は、何でも、いついかなる場合でも、悪い(or良い)」っていう主語の大きいとらえかたを、しないように気をつけようと思うようになったのが、Twitterを始めたお蔭だった。酷いことにその頃の私はとうに40代だった
日本って日本がキライだという人にも発言権があるし、日本を護る人々のことをキライという発言も許されるし、日本を好きという人を叩いていても日本に住むことが可能だし、自衛隊をキライという人のことも自衛隊はいざとなれば助けてくれる。懐広い国じゃありません?そういうところ私は好きだよ?
もともと日本を好きじゃない人っていうのは、日本を護る人々のことも多分、好きじゃないんだろうな。だから防衛力も外部にアピールされたくないんだろうな…災害時に自衛隊に助けてもらうのもきっとイヤなんだろうなあ…大変だな…それでも日本に住んでる理由がよくわからないけど
仮に軍国主義独裁政権なら、もっと個人の自由とかプライバシーとか無視して有無を言わさず罰則付きで行動制限してあれもこれも封鎖して新コロナを早くに根絶やしにしてしまえるだろうところを、そうはせず人権尊重しながら自由を認めながら頑張ってこんなに死者数を抑え医療崩壊を防いでくれてる日本
家族が在宅勤務中、普段は私にあまり見せたことのない彼らの「仕事をしている人」としての面を垣間見る(漏れ聴こえる)ことに感動を覚えることが最近多々あった(2020.5)
原発事故の頃に「御用学者」ってワードを使う人を目にし、その使う意図がホントにイヤだと思った。科学的な真面目な考察や言論が、そんなレッテル貼られてそんな話に使われてイヤだなって。なのでこの言葉をどう使っているかを、当時フォローしていたアカウントを整理する時の選別基準にしたんだった
報道は、・誰に対してどんな支援が用意されていて・それはどんな経緯と理由か・いま国民が国の方針を理解して行動すべきことは何か・それはどんな科学的根拠に基づいているか…など建設的なことを、もっと報道してくれたら有り難いと思う。与党に反対していれば視聴者が喜ぶわけじゃないし
寄付は密かにやるべきという考え方には共感してない。密かにしたい人はすればいいと思うけど。それを強制することには賛同してない。影響力のある個人や団体が、どこここにこういう支援が必要と見たのでこういう支援をしますと表明することで、多くの人の関心を集められることも支援のうちだと思う
子供の頃の私は、肉体的に辛いことがあると、コナンやラナのあの場面この場面を思い浮かべ、あれよりマシ、こんなのあれに比べたら余裕で堪えられる…そう自分に言い聞かせたものだった。それくらい未来少年コナンは私の人生において存在感が大きい
定期的に未来少年コナンの素晴らしさを訴える当アカウントとしては、まず、コナンの足指の強靭さが半端ないことを讃えたいし、体育会系なだけでなく実はめちゃめちゃ頭良いうえ、博愛精神。要所要所で選び取る言動が仙人。ラナという少女の叡智と慈愛も神々しすぎる…。この二人、12歳なのホントに
また、芸術を人に伝える営みにも製造業は必要だし、製造業も芸術と無関係では成り立たない。あれもこれもどこかで繋がっている
って、嵐ワクワク学校2020年の第1回授業でも思い出させてもらえた。外に出なくても何の不自由もなくエンタメ鑑賞等に幸せを感じられているこの暮らしも、それを可能にする、医療や運送やインフラ等あらゆる方々のの働きがあればこそだとエンタメ発信側が視聴者に呼びかけた、有意義
親の私がそれを理解できるできないとは関係なく、我が子が何かに夢中になっていると、ああ良かった…生きていて良かったと思える日があって良かったね…産んだ甲斐あったよ…我が子に生きるモチベをくれてそれを支えてくれるあらゆる業種業界に感謝したいよ…ってなるもんだ
世の中には自分が興味を持っているものの素晴らしさもあるし、自分が興味を持っていないものにも素晴らしさも存在する。自分が存在価値を見出しているものも救ってくれるし、自分が存在価値を見出していないもので救われている人もいる
ホント、そうです。見返り期待する親族がいたから若いときはつらかったけど、自分が親になってみると、見返りなんてのは要らない…。子供の人生が子供にとって有意義であれば幸いだ。それが私の好みであるか否かにかかわらず
そこに優劣を付ける気持ちを持つ人々が、特定ジャンルに特に多いかどうかは分からない。たまたま、一部のアーティストがそういう、選民思想的なことを言ったからといって、アーティストだけがそんな感じなのか?どの集団にも、自分の関心のないものについて偏見を持って軽んじる人って結構居るよね…
で、それとは別に言っておきたいけど、音楽だって演劇だってなんだって全ての文化活動を支えている、電気も通信も水道もガスも道路も交通も政治も、医療も教育もどれだって何だって、それは人の働きが支え合ってる大切なことなので、優劣を付けることはできない
自分にとって重要でないジャンルに対しては、まとめ方が大雑把になってしまうこと、ありがち
何か許せない言論があった→その主の属性が○○→○○はみんなダメ→ダメな考えではない○○の人が怒る…そりゃそうだよ
演劇もエンジニアも大切、芸術もインフラも電気も命もどれも大切。というかどれもこれも命にとって大切。たかが電気云々と発言した人が芸術家だからといって芸術家の全員が傲慢なわけではないし、不安を煽った番組が多々あったからといってマスコミが全部だめなわけじゃないのでひとくくりにできない
それがなくても実は大丈夫な人がそれを安心の為に確保しようとすることによって、実際にそれを真に必要とする人が困る、…みたいなことにならないといいな。ありがちだから
モンスリーを推すこと自体がネタバレになりそうでこわい
未来少年コナン、あの頃は、あの描写に「そう!そのとおりだ!自然万歳…!人工は悪!」と単純に捉えて観てたんだけども。今観ると「いやそのような印象操作はどうかと思う…プラスチックだって立派な自然、人の営み、あれもそうだよ、白黒善悪分けられないもんね、そうだよね」ってなる
ブロック機能も善し悪しだなと思うことがある。ブロックされると互いに見えないからそれに関する正当な反論であっても届かない。元ツイが見えなくなり、世にどんな誤解が出回ってるか知る手段も阻まれるから、誤解が誤解のまま残ってしまうわけで
政治やインフラや医療等と比較するものでもないかもだけど、家事とか育児とかだってそうさ。家族の皆さんが無事に生活できるのは日常のたゆまぬ注意を誰かがしているお蔭なんだね…何事もない時も「何事もない」ことを褒めよ讃えよなんですね…有事の時にばかり誰のせい彼のせいと責めがちだが
その、あちら立てればこちら立たずの状況で、最適解を出そうとしている行政に、国民が各々の立場で要望を出すのは有意義だと思うけど、政治が全部をカバーできないからって端から無能みたいに貶すのはイヤだな
興味がない分野を見ても顔の見分けもつかないし十把一絡げに言ってしまうが、ひとたび興味が湧いて惹かれ出すと、それに対して途端に識別能力が上がる。息子は幼児期にミニカーの車種を即座に言い当てたし特撮ファンはどの戦隊のレッドかすぐわかるし私は今は嵐の歌ソロパートの聴き分けが容易
献血、若いときに人生で一度だけしたことがある(その後、体質上の問題が判明してからは行っていない)んだけど、ジュース貰えて嬉しかった(そこ…)あと、自分の血液の、当時、自分でも知らなかった情報が分かってびっくりした。そのひとつに「母子手帳に書いてある血液型と本当の血液型とが違う」
ドラマや映画を観て「あ、この人はあの作品ではあの役だったな」とか思い出すと嬉しくなってしまってつい、人に「あの人はあの作品ではあの役だったよ」と教えたくなってしまう者です
キサラギ、佳き映画でございます。私は嘗てユースケ・サンタマリアさん目当てで観に行って話の面白さにハマった。2回目の鑑賞も発見が多々あり、面白い
私の推し・嵐メンって皆さん、見てると分かるんだけど、何かの隙あらばすぐ、自分の携わった仕事経験や出逢いから蓄積されたことを社会貢献に繋げるような影響も考え各方面に善かれと話題にしがちな姿勢がですね…佳きアイドルのスタンスだなあと思う
犬を飼いたい…っていうラジオリスナーメールに答える際、保護犬の施設で里親希望者とマッチングできるメリットを勧めつつ、でもペットショップで買うことも一つの命との出逢いだから肯定し、家族の一人として迎える覚悟を訴える相葉雅紀さん…推せる(2020.3)
何でもお上の陰謀だと思っちゃう人もいるようだけど、言いたいことが言えているよ、そうやって、こうやって。
外国の人のことを、何人だから好きだとか嫌いだとかじゃないんだ私は…。ただ、参政権や思想言論の自由といった人権がどうなってるかについて、その国の政治の仕組みについて好き嫌いが生じるだけ
当時の自分にとって結婚とは、親族の価値観という荒波に自分の好きな人を投げ込むことで、恐ろしさのほうがまさるイベントであり、それに対して人を守ることも自分を守ることも何の覚悟もできる気がしなかった
恋する人とは結婚というものをしたくなくて、結婚というものはいつかしなきゃいけなくて、結婚しない人とはいつまでも付き合っていてはいけなくて、だから恋はしてもいつか離れなければならないからもう恋は表向き終わっている。そういう思い込みと思い込ませられの青春時代を生きてた
ふと自分の人生にもし「結婚しなければいけない」という縛りがなかったとしたら、を考える。親族からの期待というか…結婚しないことは許されない空気、あれがなかったら私は今も、二次元に恋するように誰かに恋をしていたかも。片想いの相手は男性か女性か、過去の自分を振り返るとどちらも有り得る
人間って面白いもの作れるんだなあ、って思う。そういう作品を観ると嬉しい。人間の身体で生まれてこの作品を鑑賞できて本当に良かったなあ…ってなるから
制度的には育児「休暇」って呼ぶしかない現状だけど、家の外で働く人が家の中で働く状態に移行する日々の中で、時々は、家事も育児も全く何もかも忘れて「頭も心も休める時間」というのも欲しいところ
胃腸の痛みが引いた。「身体のどこも痛くない」こんな幸せが他にあろうか…?24時間前の自分に教えたい。あんたは24時間後に「身体のどこも痛くないという、とても幸福な状態を味わえるんだよ」と(2020.1)
昔と今、とか、あの文化とこの文化、とか、良い感じに面白く混ざり合うものを観るのが、もうね…とてもホントにめちゃめちゃ好き
どうしても「子供は親を選んで生まれて」来るという説が、全くもって受け入れ難い。どこに誰のところに生まれるかまでも自己責任って言われたら、さすがにつらいのでは。子に対しては「選べなかったよね、ごめん…」って考えたい
その人の存在があって今の私がいるので、ある意味、感謝する部分もあります。優しいところも多々あったし。が、やはり悲しかった出来事をなかったことにはできないし、反面教師とすることでなんとか落ち着く
密度濃く迫ってこちらの人生を私有しようとする親類縁者というのも半端ないものがあります。その人の意に沿わない生き方を選ぶと、その人は自分のことを否定されたと感じるのか、こちらを責めて止まないし、親の育て方のことも責めてくるから母を人質にされる気分になるし、物理的に離れるのが一番
近年見かけたネットのガセ書き込みで私が一番笑ったのは、私がその時にバイトで勤めてた会社が「ペーパーカンパニー」って書かれてたのとか、めっちゃおかしかった
一人暮らしだとしたって、来客、そしてたまには誰かを泊めるかもしれない。まあ、おトイレ2つ作るよりお風呂や収納スペースのほうが大事って考える人が絶対多いかもね…、でも需要は全くないわけではないと思う…閉ざされた空間、建物や乗り物でも、おトイレが唯一つか複数あるかで精神安定が違う
自宅におトイレが2つあると、ものすごく安心して生きられる。夜でもいつでも急な体調不良によるおトイレ占拠を同居人の生理現象を気にせず心置きなく出来る。故障時も、業者さんが来るまでよその施設に出向く必要もなく用を済ませられる。大切。「狭くても自宅におトイレは2つある」が流行ればいい
それにしても、芸能人の下げ記事を作文するとお金が貰えるとかいうネット記事作成アルバイトに腹が立つということをこないだも話したけど。そういう、虚実どうでもよく人の人権を搾取する記事が未だに滅びていないとしたら、それを消費するような民度の人々が多くいるということだから哀しくなる
デモよりも選挙のほうが、デモに行けない体力や時間の制約のあるどんな成人にも、参政の機会をもたらしてるんだから公平でしょ。その選挙制度が保たれる今の日本国を私は推す
逃げも隠れもできない人に対する名誉毀損の罪を侵した犯人のほうの個人情報は保護されるのって、私は理不尽だと感じてしまう。いじめにせよ何にせよ、ネットの場や集団から追われるべきは被害者ではなく加害者ではないのかなあ
とはいえ「嘘だろ…知らないよ、私、そんなこと言ったっけ?そんなことしてた?うわ信じられない馬鹿じゃん…私の姿を借りた何か別のものが憑いてやったことではないのか?」というようなことが同級生の証言で判明するのがしんどい
とか考えると、逆に、当時の私が「誰々が気に食わない奴だ」と思ってしまったその誰々だって、発展途上だったのかもしれないし、誰々とはもし今、何の予備知識もなく出逢ったなら、案外佳き友になる可能性だってゼロではない、のかも知れない世界
学生時代の同期会に際して思うのは、あの頃の私は今の私とはかなり別の人間様であるので、当時の振る舞いを皆に覚えていられるとホントに恥ずかしくて仕方ないんだが、でも、あの自分について他人のフリはできない。あの頃の自分があっての積み重ねの今の自分だから確かに他人ではない
だからあの頃の自分に言いたいのは、○十年後には夫を置いて泊りがけで遊びに出掛けられる時が必ず来るからね、夫の意識もかなり変わるからね、離婚とかそんな早まるなよ私
子供の時に観たり聴いたりかいだり味わったり感じたりした記憶が朧気にあるもので「あれは何の何だったんだろう…」を答え合わせしたいものが多々ある。何と説明していいか分からないし現実だったか夢だったかも定かでないし
逃げ恥を観てると、他人(家族含む)が他人(家族含む)に無償でしてもらってること(してあげてること)の、当たり前では無さ加減とか、モチベーションとか、色々つくづく考えさせられる。容易に依存し合わない関係と、甘えを許しあう関係、って両立できるんだな、きっと、尊重があれば
グランメゾン東京、尾花くんが相沢くんのこと(だけじゃなく他のチームメイト)のことを意外ときちんと見ていて思いやっていたこと、よく分かる。もしかしたら彼は日本に来てから、以前より人に寄り添えるようになったのかもしれないけど
分かり過ぎます。詳しく描かれない人々の物語を妄想で埋められる基盤として、各キャラがまるでこの世に実在するかのように、生き方や性格、行動パターンがしっかりブレず描かれていて、行く末を見続けたい魅力があるからこそなので、制作者さんに感謝します。
ルパンレンジャーvsパトレンジャー、これ全話が24時間で収まるということに驚き。ルパパトは私が初めて第一話から最終回まで観た特撮コンテンツ。これによって私の中の特撮へのイメージが変わったのだった。人生長生きしてみるものだよね
自分の頭の中、好きな人の記憶が詰まってるから冷凍保存したいと時々思う。なのに、他人の頭の中にある自分についての記憶は、なるべく風化して何かの良かった部分だけ消化されてほしい、みたいな願望がある…矛盾
忘れられてしまうこと以上に、忘れてしまうことが怖いしヤダ。
陽だまりの彼女にも、ハリポタハーマイオニーのあのシーンの魔法にも、魔法仮面ライダー電王にも、思ったことだけど、私はやはり「愛する人の為にその人の中の自分に関する記憶を無くす」っていうシチュエーションに激しい悲しみ(むしろ怒りにも似ている)を覚える。死より残酷な選択だと思っちゃう
この仮面ライダー電王っていうドラマ、もうね…尊み…切ないね…幼い視聴者はあの場面やあの場面の理解をできるのだろうか…親御さんがあとで質問攻めにあうかもしれないな、そして「こっちが訊きたいよ…」ってなる親御さんが多々いたのではと想像する
光司さんがまたホント良い人…なのに生活力のなさが…そこがまた可愛くてね…綾子もなんだかんだ光司さんのこと思ってるんだなあってとこが垣間見えるたびに好きになる
よく考えたらヒトって面白いな、自分が経験し得ない人生や世界を創作したりそれを鑑賞したりするんだよ
本に限らず、子供に限らず、コンテンツに触れる為の資金と機会が潤沢に与えられて、自分の選択にあれこれ文句をつけられることなく自由に選べる→好きになる。これホントだ
別アカでも書いたけど、ここでも私の推し国旗と国歌について、好きを叫ぶね。日本の国歌君が代、本当にセンスある。悠久の時間と美しい自然~!そして日本の国旗、日の丸、白地に赤い円、日出づる国の、こんなに覚えやすくて描きやすいデザイン最高だよ…好き…!
テーマパークキャラクターの中の人がどんな様子かを隠し撮りしたり、ああに違いないこうに違いないと書き散らして売上を稼ごうとする商売、がもしもあれば、それは酷いねと思う。有名人の私生活を詮索するネタは、それと同様かと
NHKのスペース・スペクタクルという番組で、はやぶさ2のプロジェクトが、人類や宇宙の起源研究に貢献していることを知ったのだった
それ以上に相容れないのは、ご本人が外に見せたいタイミングと内容を無下にし、プライベートについてあることないこと書いて商品にする雑誌やらネットやらの性根。本当に嫌い。最も推しを脅かす存在は、ファン以上にそういうメディアだ
ただ、推しの生きることを尊重するより我欲による怨みが勝って推しに攻撃の矢を向けるような、そういう人も時に発生するので、勝手に応援しといて勝手に憎む人については、私とは一生相容れない
推しアイドルがプライベートでどう生きようが、おもてに出してくれることが全てで、私は全く気にしない、そう思って生きてきたけど、そう割り切って見ることが難しい人々の心理というものを近年、勉強させて貰った。なので自分も今後リアルでの世間話にも、軽々しくしないよう気をつけようと思った
親族、地域、学校、職場、そういう…人と人が顔つき合わせ密接に関わってないと生きられないから、干渉されるの嫌とか何とか言ってると命に関わるから多少我慢してでもその集団人間関係を必要とするのだとして、では人と直に付き合わなくても命に関わらないような技術と仕組みになるならそれはそれで
カセットテープ、上書き防止の爪を折ったり、たるみを直すのに鉛筆差し込んでくるくる回したり、そんなことしていた頃が懐かしい…と同様に、え?CD?そんなデカい円盤だったんだね?とか言われる日かくるのかな
時々、自分のこと他人だと思って眺めてると楽しいんだが、他人だと思ってる思い方も、楽しいと感じる感じ方も、自分の捉え方の域を出なくて、ああ、自分っぽさを消せないな、可笑しくて、面白いなと思う
ちょっとふざけたり遊び心出してみたものが、もしそれが多くの人の支持を得て後世に残るとしたら、後世の人々はその時代の文化のスタンダードはそれなんだと思ってしまってしまうかな、面白いな
(別あか)a.何を垣間見た時に沼におちていくのか。クールだと思っていた人の可愛らしさを見た時か、可愛らしいと思っていた人の野性味を見た時か、和み系だと思っていた人の激しさを見た時か、豪胆だと思っていた人の繊細さを見た時か、…一面的ではないヒトの魅力を観てしまうと以降、気になって
誰か何かを批判するとき「私が」そう感じている、という前置きをすることによって、誰か何かそのものの評価は他視点から見れば必ずしもひとつではないと、話す私も聞く人もそれを前提にできる
要らないとか、くだらないとか、そういったことを、人間が真面目にやっている仕事に軽率に言えてしまう人の神経がいつも理解できない
アイドルの仕事をそんなに蔑視する人達は、いったい全体、何なんだ。大変だと思いますよ。並ならぬ努力で得るスキルや気遣い、真面目に取り組まなければ人々に何かを伝える役目を果たすのは難しいと思う。そんな簡単にできると思っている人は試しにやってみたらいいね
なので、自分と他人の「何をイヤと思い何を嬉しいと思うか」が分からないのは当然なので、各自、予めできる限り情報を開示して、でもなおそれでもそれが全てではないということを心にとめて、想像するけど妄想は控えて察し過ぎずに察するのが良いんだろうな(難しい)
優しさって難しい。「自分がされてイヤなことをしない」っつったってさ…私は大抵のことがイヤじゃないから、人の心を傷つけてばかりになるってことじゃん?もし大抵のことがイヤだって場合、それもまた、人に付き合いにくさを与えるじゃん?だから割と何でも平気な私がこの平気さに不安になる
その人が多分、優しいから、好みでないことは私には伝えないであろう、そう思うと、…マジで人の心の中を読める能力が、その時だけ、本当に欲しい…でもその人は優しいから、そんな本音を絶対に私には読まれたくないだろうに、読心術を使える私はヒドい人になっちゃうか…そうね
…でも私は自分軸でもあるけど、場面によって他人軸なところもあるのかも。例えば好みでない料理でもてなされた場合、好みでないことは言えない、なぜならもてなしてくれた人の気持ちを考えてしまうから。但し自分がもてなす側となると、相手には好みをハッキリ言って欲しい。我慢されたくない
人が表明しないでいる心の中を、簡単に分かるとはとても思えないのを踏まえ、私が表明しないこの心の中を、簡単に分かられるとは思わないでいる。そのほうが何かと良いので
察してもらうことが前提の空気って好きじゃないな。みんなが自分の食べたいもの食べたい量を勝手に自分の分だけ自分のお皿に取るほうが、なんて素晴らしい世界なんだ…って思う
基本、世の人はそれぞれ自分のやりたいように概ねしてるだろうし、言いたいことはある程度口に出すだろう(なぜなら私も概ねそうだから)と思うので、言外の意を察する必要性をそこまで感じない。逆に私が言葉に出してもいないことを推察され善かれと思われ何かされると、それは面倒だと感じてしまう
いま居る教室が世界の全てじゃないし、いま居る職場が世界の全てじゃないし、いま居るタイムラインが世界の全てじゃないし
監察医朝顔さんちのつぐみちゃん、本当に癒やされるなあ。子役として演技が自然で、良い子過ぎない良い子…あと、脚本や演出も、家の中で交わされるやり取りとかめちゃめちゃナチュラル、リアル、絵で喩えるなら写真と間違えるレベルのリアルな台詞が家族の会話に出てくる
どういうのが正解なのか結局よく分からないまま人が人を育ててしまうの怖い、ってなるけど、私も私の親も、そうやって産み育ててもらったから存在していて。嫌なことつらいこともあったけど、存在してて良かったことも多々あることを考えると…必ずしも、完璧神になるまで子を産むなとも言えないかも
祖母自身は「人の役に立てないと生きてる意味無し」という育てられ方をしたらしく。人の役に立てている間は機嫌良いけど、養育者としては、子や孫に無駄を許さない…存在自体を愛することを見せない怖さあったし、老いて人に役立たなくなる自分は無価値という思いからか、卑屈な物言いが強かった
近親者からの身バレを防ぐため、ブライベートに関するツイート内容はリアルタイムの出来事とは限りません。昨日のことかもしれないし前月のことかもしれない
何十年分もの体感や経験や知識や何やかや、視覚や聴覚や嗅覚や触覚の記憶も全部、入れるためのものって、私のイメージからすると超めちゃデカくて堅牢な装置に入ってても良さそうに思うけど。あんな小さい頭の中の小さい組織で保って時々ササッと取り出せる、それを一人一人持ってておかしいしこわい
ひとの記憶、何年も何十年もの人の記憶、が、こんなそんな小さな頭の中にしか入ってないの、おそろしい。おそろしくない?どの人の頭の中にも、何十年もの記憶があるなんて
メジャーなもの・人気のあるもの、叩いても潰れないと思いこんでいるもの・を憎んで、妄想でも捏造でも何でもそれが叩きに使えればよく息をするように叩くのが好きな人々…、を見てると哀しい。それを楽しいと思っているらしいのが見てて本当に哀しくなる。もうそろそろ、そういうの滅びていいのでは
ルポルタージュ』(売野機子さんの)やはり最終巻まで読了して良かった。主人公と彼女の周りの人々に、どんな時も忘れなかった心があったからこそ。このめちゃめちゃ難易度高いテーマで…救われるってことは、本当に難しいけど、存在の意味を人に包まれる人に共感して、泣くまいとしても泣いてしまう
一部の目立つファンがおかしいからと言って推しアイドルとそのファンがみんなおかしいことではないし、一部の国民や政治家がおかしいからと言ってもその国の人々がみんなおかしいわけじゃない…と自分に言い聞かせる
批判されても非難されても人を不快にさせたコンテンツも結局は、人の人権を侵さない限りは国(人々が参政権を行使して作って成り立っている仕組み)に守られることになっているっていう今の日本に、生まれて良かったと思う
戦争をやめさせるためという大義名分に、なにもよりによって世界初の核兵器である必要はなかったんじゃない?なにも原子爆弾でなくたってよかったんでは?この件はしつこく蒸し返していきたい。物分りのよい人々ばかりではないということをのこしたい
恐ろしい自然の毒から身を守る為に人工の技術が存在してくれる
子供は自分の未熟さを親に責められてもどうしようもないし悲しいし、かといって親も子供の未熟さを全部理解して優しく受け容れられるほどのカンペキ聖人でもないからなあ…未熟さの責を本人とその親にのみ負わせるんじゃなくて、社会全体がそれに対し優しくなれる仕組みがあると良いな
昔々、絶対権力者が民衆の人権を守らない時に民衆が反権力の運動をやってたのはそれは良いと思うけど。今の日本で行政は国民の代表だし、犯罪者でさえも法で守られてて、行政に対する暴力は人権侵害以上の意味がないし単に暴力なだけで偉くもなんともない。今の日本で
自担(日本)って異文化に割と寛容だし、コラボレーション上手いし、神様に適度に拘らないとこ、好き。ただ、判官贔屓o自省し過ぎo察して欲しがり過ぎo平穏無事な日々に慣れてしまって誰のどんな働きの積み重ねでこの今があるのか忘れがちo…なとこなんかは、ちょっとどうかと思う、日本。
良い国だよ、仕組みが。そして文化が。概ね。日本が好き。全部手放しで肯定するわけでもないけど
「推しは虐げられている」という妄想を膨らませる人の気持ちは仕方がないけど、「推しは何もできずに人の言うまま大人しくしています」のアピールをして、それって推しのことを逆に馬鹿にしてることになるじゃん。推しはいい大人であって、推しは推しであり、ファンは推し本人ではない
とにかく「可哀想」を売りにするやり方や陰謀論で被害者の立ち位置にて架空の加害者を作り上げるやり方をする人々らが、嫌いで仕方がない
憲法や法律も、昔の価値観では掬いきれていないことをカバーする為にアップデートしないとならないと思う
私は今のところ、見た目の身体は女性、自認する性も女性、だけど「好きになる相手」は必ずしも男性とは限らなかったし、そして好きになりかたも必ずしも性愛では無いような恋愛感情のようなものだった。なのでどこに分類されるのか曖昧な部分がかなりある
セクシャルマイノリティについて理解が足りない親族が、その人そのままの生き方を肯定できずに「治すべき」「それは治るはず」という誤った考えを押してくることが多々あるんだなと思った
そういうテレビ番組などで、宇宙から自分の命の起源を考えさせるきっかけが、一般人に親しみやすい形で種を蒔かれるのは、良いよね…それがどこかでまた誰かの中で育ち花開くかもしれない。そしてそれがまた誰かに影響して誰かがまた世界観を深めていくかも。そのきっかけ、最初の一歩、佳き(2019
6月のNスペを観て、宇宙に生物がいる可能性について考え、ここ地球の環境がいかに宇宙の全体的には寧ろマイナーなのかと思いを馳せて楽しかった。7月のを観て、逆に、こんだけ宇宙に生命の材料となる元素が万遍なく用意されてるなら宇宙にここと同じような世界があってもおかしくないと思(2019
予防接種は自分が罹らないためのみならず、感染症を拡散しないためにも推奨。世のため人のため
テレビも何かの一部を切り取る偏った伝え方をすることが多々あり、それはヤなんだけど、テレビだと少なくともニュースを見出しだけ見て終わりってことはなく、続きの音声や画像を一応は観ることになる。ネットで記事の見出しだけ見て中身も読まないであれこれ言う人の情弱さはそれ以下ってことになる
国とか国境に拘らない、人類みな等しく友達、という理想というか概念は私も大好き。でもいま国という仕組みを自分も成り立たせていて、一員で、それに守られてこそ生きていられるという現実は、認識していたい
警察官も自衛隊も丸腰では役目を果たせない。災害時に人を守ることも、他国からの攻撃に備えて人を守ることも大切で、どちらの方面への活動にも日々自衛隊の方々が警備や訓練に勤めて下さっているから安心して人が暮らせているのに、なぜ前者には感謝しても後者には冷たい人が多いのかと思います
わりかし何にでも言えると思うんだけど、表面的に眺めてると大抵のものはつまらなく見えても、真剣に観てみると面白さが分かる…というものは世の中にとても在るなあと
「こういうことがあったんですよ酷いです」のツイートが拡散され、「それは実はこうこうこう言うことでした」のほうはなかなか人目につかない。…ということが多々ありますね、何でも
昔(今もかな?)変なスピリチュアルの教祖の人が、自然の放射線は良いけど人工の放射線は悪いとかっていうおかしい説を流していたのを思い出すなあ~
いつか科学技術が発達しまくった日には、脳内で勝手にいろいろな二次創作したものとか、勝手に夢の中で作った世界観とかを、なんの手間もなく他人の脳内に送信できてしまうようになったりしたらな、怖いし可笑しいし、わけわかんない
私の個人的なことを言えば、どちらかというと子供の頃より大人になってからのほうが生きやすかった。身の周りの狭い人間関係が世界の全てと思っていた頃よりも、自分の外がめちゃ広い(物理的にも精神的にも)と認識できてからラクになった。親族の支配を受けなくても経済的に生存可能な身分の安心
有名な人のことについて適当な虚実あやふやでも記事を書けば儲かる仕組み、もう古いよ。廃れればいい。廃れつつある。だっていまこの時代、本当に大事な事実はその有名人ご本人から発信する公式を待てるんだから
そして必ず道が拓ける、ただ理想だけじゃなく人間の現実を踏まえながらやり遂げる人達。変えていく人達。大好き。あとこの劇中の試合、さすが、本当の試合かと思うくらい迫力(ドラマ ノーサイド・ゲーム)
ハッピーエンドだったでしょ、誰か何と言ったってあれは。欲を言えば彼らの仲良しいちゃいちゃ場面を、あと200分位上乗せしてほしいかな…けどあの終わり方、良いよ、好き(劇場版おっさんずラブ
こんな毎回激しく心揺さぶられる羽目になると思ってなかった。哀しいこともあるけど、こんな安らかな気持ちにもなるし、なんなの、超佳き…主に、全人類にお薦め作品(ヴァイオレット・エヴァーガーデン
(最終話まで観た)ヴァイオレット・エヴァーガーデン、人に思いが届くことの当たり前でない有り難みに泣く。世界に色々な人、色々な人の大切な人に届けたい思いが無数に存在して気が遠くなる。彼女が繋げたどの心も全て、彼女を作っても行くの。描写がこのうえなく美しい
そうなんだよ…某国のやり方を批判する時に「日本人がみんな言いたかったことをいってくれて」とか主語を大きくするのやめてほしい。そして他国のやり方を批判したい場合でも「○○人が」って目的語を雑にまとめるのもやめてほしい
ところで、お腹を痛めて産んだ子だから可愛いとかいう説、デマだと思う。私の身近には実の親から虐待されていた人もいれば、血の繋がらない子を心から尊重し愛した人もいるのでつまり、血なんてホント関係ない。自分と違う人間とどういう向き合いを続けていたかの積み重ねだから
親をスッキリと理解させてあげることより、自分は自分のことを優先していくように、私が理解できようができまいが気にしないように生きてね…?とか、我が子に思うんだけど、そもそも本気で、私が理解できようができまいが気にしないように生きられるように育ててあげられていただろうか?自信ない…
他人との相互理解を諦めていても、殊、家族(特に親子)間となると、分からなさや分かられなさをなんとかスッキリさせようと躍起になりがちな人(ともすると私も)が多い気がしてしまう。その分からなさ分かられなさをスッキリさせようとする情熱がまた、家族の悩みを増やすケース、多々ある
「男女が血の繋がった子孫を産み育てる」以外の生き方、幸せの事例、を世に増やすには、そのどんな生き方でも不利にならないような世の中の仕組み、行政のありかた、が大きく関わってくる。行政は多数決で成り立ってる。多数の人々が、色々な幸せの形を知って肯定することで、それは可能になると思う
私の親世代の目と頭に馴染みやすくわかりやすいであろう「男女が結ばれて、血の繋がった子孫を産み育てる生き方によって、発生する苦労と幸福」…これが突出して世のメジャー、このパターンのハッピーエンドが世に多くある。でももっとこれ以外の色々な幸せの形がどんどん沢山出て来たほうが良いと思う
異性間の感覚のズレ、同性間の感覚のズレ、同性カップルとその親世代の感覚のズレ、等々を乗り越える人達の物語をフィクションで観る時、私などが感情移入しやすいかどうかは、私の中にある「幸せのサンプル事例」がどの位あるかに左右されていたから
でもテレビでおっさんずラブを観てたとき、私のような「異性同士のラブストーリーのほうが好きなんだけどな~」と思っていた者にも、めっちゃ面白かった。人と人はみんな感覚も考え方もすっごく違うし、恋愛を通じてその違いにぶつかって受け入れてく過程をヤキモキしながら観るのが結局好き
ヴァイオレット・エヴァーガーデンとんでもなく良い、どの話もとてつもなく良い…!出てくる人出てくる人の行く末を祝福したくなるなこれ…ヴァイオレットちゃんさ、探してるものは既にそこにあるじゃないの~!もう…泣き過ぎて頭痛がしてくる、でも温か涙(2019)
体育、ある程度、体格や運動能力で班分けして教えてくれれば…あんなに肩身の狭い思いしなくて楽しく運動できたのに。弱い子をカバーしながらチームワークなんていう高尚な理念を理解できていないクラスメイトの、批難の視線にもうね…消えたい気持ちになっちゃってた。特にバレーボールとかね
つらい環境から避難することは大切だけど、いじめ被害者だけが外へ行くことを強いられて加害者が残れるのはおかしいと思うもの。
昔、まるで化学物質に親を殺された人のように化学物質(イメージ)全般を憎んでた頃、無香料か、百歩譲って天然香料しか買わなかった頃、の自分ホント可哀想。いまの私がそういう宗教めいた拘りから抜け出て、めちゃめちゃ可愛い香りの香水で時々幸せになってるの知ったら、過去の自分、何て言うかな…
ヒトとしてあんまり好きではないと私が思う人間の中に、私の大好きなものを生み出す力もあるということを考えると、堪らなくなってしまう
なんでも「感動ポルノ」ってレッテルで片付けるのも如何なものかと思う…。今しかできないと思って五輪に挑むのも、今しかできないと思ってハンデのある少年が登山に挑むのも、観ると普段あまり意識されない世界への関心を喚起してくれるが、本人にモチベーションがある活動を応援したい気持ち
ネットニュースさあ…ネットで目についたノイジーマイノリティの文句を拾ってまるでそのクラスタの代表的な世論みたいに広めるのは、如何なものか。そんな文句言ってる人よりはるかにたくさんの人がその作品に満足してるのではないでしょうか
プリンセスチュチュのあひるちゃん、魂が聖人の域に達したと思う
誰だって戦争したくないし、武器も持ちたくて持ってるわけじゃない。ともすると、日本だけが武器を捨てるべきみたいな空気に覆われがちだし、慰霊の場にまたあの辺りの人々がデモでうるさくしていそうだけど。武力を使わなくて済むように、他の国にも呼びかけたらいいのでは
あとね、普通の平穏な暮らしの影で、それを支えるヒーローはもちろんのこと、ヒーローを支える人の存在も教えてくれる。悪役にさえ個人の事情があることを教えてくれる。スーパー戦隊シリーズを推す人達の気持ちなどが、ようやく分かってきた
暴力を覚えそうだからという偏見で特撮ものを子供に観せなかった人、今はそれが誤解だったと考えを改めている知り合いがいたけど。特撮番組、素晴らしいよ…?特に今の特撮のストーリー、如何に人によって正義が色々であるか、だから世界は複雑で単純に何かを切り捨てちゃいけない、ことを教えてくれる
子供だけでなく大人の間でも、ある程度、失敗も許される余裕があれば、そういう空気の中でなら何でも思い切って取り組めるし。お金があると余裕も生まれる。つまりお金は、あればあっただけ良い。お金大事。素晴らしい。お金をバカにしちゃならんよ
スポーツだけでなく。伝統芸能や芸術の世界でも、今の感覚や価値観からすると、それどうなの…という、幼い頃からの特訓とか、世襲制とか、ある程度の無理が成り立たせているものも多いと思う。それ全てを排除できるものでもなくて、難しい
一方、伝統行事がなければ敢えて挑戦しないようなことに挑戦する機会というものが、参加する人々の人生に豊かさをもたらすこともあるだろうから。なんでもかんでも、つらいものだから止めようっていうのも、それもまた良くないかも。配慮と折り合いが要る
あと、やはり、子供が親を選んで生まれてくるという考えが、とてもきらいなんだよな…
疑われ段階で黒としてしまい大々的に報じられて、白と判明してもそれは拡散せず、黒イメージがついたままになってしまう…そんなケースが沢山あるね
核は全世界が無くそうとして欲しい。戦争したくない気持ちは世界中の人にあるはずなのに実現されていないのは、根本的に基本的人権参政権、民主的な政治が守られてない国家体制が世界に多過ぎるからで…戦争するより協調するほうがお得だと他国にも思わせたい。毅然さと寛容さと、どちらも要る
とかく、後世に遺される「歴史」は修正されがちだから。勝てば官軍って言葉もあるけど。勝者目線とともに敗者目線も併せて知られるようになってて欲しい
ただ、我々より上の世代の生の経験からくる感じ方も、大事な遺産として引き継ぐ余裕もどこかにないと。歴史の教科書に淡々と記述されるようなことは、実はその数行の後ろに、色々な立場の人間が生きていて色々な感情があったことを、できるだけ多く過去の事例として伝え繋ぐのも大事だなと歴史を思う
でもそれは喜ぶべきことであって。だから若い人は昔の人の言うことを、参考にはしても適度に聞き流せばいいし、その代わり次の世代の価値観にも、ある程度は寛容になればいいと思うし、たとえば子供世代の子育てに口出ししない。彼らは彼らでちゃんとやってる、と、ある程度信じて※命に危険のない限り
昔からこれが良いとされて覚えてる常識が、必ずしも当てはまらないケースが最新研究で判明するにつれ私は、常識アップデートできないまま歳をとって年下の人達に何かの助言をすることの迷惑を想定し、寂しいけど好きにすればいいよ、皆さんの世代が皆さんに良いようになるでしょうよ…って気持ちになる
生きてる間には物理的距離的に考えて行けそうもない場所のことを、研究したり想像したりするヒト、目の前のことが全てだと思い込まないことに通じるので推せる…。という気持ちもあるんだけど、一方、そんな外側のことまで気にせずに自分の視野からの情報に専心し本能で懸命に生きる生き物も羨ましい
ここに住んでてここの過去に身体が旅するのって、現段階では難しいけど。でも宇宙の過去のことは、いま現在のここから、遠くのあの地点のあの遠い昔のことを、タイムトラベル無しにこの目で観られるっていうの、なんか妙な気持ち
ブラックホールって元素をかき混ぜてくれてたから、私を作る材料もそこにうまいこと均一に揃っててくれたということだそうだ…しかもそのことを知るための観測、やはり光の速さがそれなり遅い為、百億年だか昔のブラックホールの様子をね、いま地球から見られるという
だから親のほうも様々な世界と価値観に触れてアップデートして不安解消したほうがいいし、そもそも子供の人生は親のものではないからね
親は子供を良かれと思って心配するとき、その「良かれ」は果たして子供にとって良いのか、どう良いのか。どういうものなら良いのか。子供の頃に親の心配が少なからず重く感じていた私も、子供を必要以上に心配してしまいがち。子供が自分の知らない世界の知らない価値観に生きることを不安に思いがち
自衛隊員さんのお蔭で安心して暮らせているってことを、子供達は知るべき
それとリュウソウジャーの皆さんの服、東欧民族衣装みがあって好き(2019)
それと、都市のデザインがホント…よくできてて夢のよう。機械化母星の真ん中ら辺にエレベーター的なものが吸い込まれていくデザイン、お母さんぽいところが綺麗でコワイなあって思ったりした。1979年の映画というのがすごく凄い(銀河鉄道999
毒親への複雑な愛着とか、両親の不仲とか、…あと、どんな正義の為とはいえ、心ある人間を欺かざるを得ないつらみ、いつまででも本来の自分を隠して生き続ける絶望…、そんな境遇の彼女にとって、あの子の真っ直ぐさ、若さ、飾り気のなさ、どんなに眩しくて護りたくなるものだったか(銀河鉄道999
劇場版『銀河鉄道999』を久しぶりに観た感想。原作漫画以上に私はこの映画が好き。鉄郎のビジュアルもアクションが映えるし鉄郎の年齢設定も上がって思春期ということで、メーテルが鉄郎に抱く感情に説得力が出たと思う https://t.co/OdDBF7Hhk8"
大企業も、多くの人の命を支えてくれてるんだよ…大企業と自分は無関係でいられると思ってるのかな
あとね、参政権を得るためには税金だけじゃなくて国籍が必要、って何もおかしくない。たとえば家賃を払ってるだけではアパート経営に口出しできないのと一緒。いざとなったらここを出ていくかもしれない人にまで国の方向性に関わらせてたらいろいろ問題あるので、そこはきっちりしてくれていい
大きな団体やメジャーなものに対してならば多少は雑な叩き方をしてもいいと思ってる人って多そうだけど、その時に拠っているものが、ただ伝聞推定だったりデマだったりするかもしれないんだよ…ということを私も気をつけなきゃ
放射性物質なら何でも忌避すればいいんではなく。どの程度の量をどの程度の時間に一度に浴びたらこのような危険がある、この量なら自然放射線の域だから人体に影響はない、とかよく調べ踏まえ被災地の安全と復興に尽力してくれた人々のことを、利権だ御用だといって叩き差別助長した人のことを覚えてる
外交も大事、文化も大事、日本経済が潤うことも超大事。あと、企業が潤っていなければ人にも還元されないし税収も上がらないし財源がなくなるから
そしてマスコミの皆さんには、政権批判も大事だけど、悪いことばかり探すんじゃなくて、良いことがあったときも伝えてほしい。こういう努力でこういうことが実現した、という時もそれを伝えてくれたほうが良いよ
政権を勝ち得た人々は国民の代表なので、公約が実現するよう頑張って欲しい。そして野党の方々は、反対のための反対ではなく与党の粗探しではなく建設的に活動していってください
だから、見出しと実際のギャップなど、注目を惹きつけたい報道側がよく使う手法に憤るみなさん(私を含む)には、では今までにもなんとなく悪だと印象操作されていた他の分野の存在にも偏見を拭うことをおすすめします。そういうことたくさんあったとおもいます。
選挙が終わると自分の望んだ人が落選したりして、選挙結果が民意を反映していない説、を言い出す人っているけども。そんなことは、ない。選挙なんだから
私が好きじゃない系っていうのは、…地道に働く人々が支える社会経済のインフラの恩恵を日頃から受けて芸術活動も出来ているのに、自分が依って立つことの出来ている基盤のそれらを蔑視するような人とか、かな…。
人は…ていうと主語が大きい。よく見かける人々は…、察し過ぎ。想像し過ぎ。ひとつひとつの事象を結びつけ過ぎ。物語を作り過ぎ。
「すぐ人のこと嫌いっていう人がいるじゃん?私は、そういう人のことは嫌いだ」←これを言う本人は到って真面目で、矛盾などないと思っている。それは他人の嫌いなものよりも自分の嫌いなもののほうが何百倍も重大な問題だから
友達になるなら、私の場合はそうね…嫌いなものの少ない人、または嫌いなもの(その人本人にとっての嫌いなもの)のことをあまり口に出さない人、かな。私が好きなもののことを友達が「嫌い」というのを直に聞きたくないっていうか、それを聞いた途端に多分、距離を置くかも(我ながら心が狭いな私)
昔、いろいろなネット上のサービスを利用して、いろいろな場所にいろいろな文章を書き散らかしていたんだ。でもその時のIDとかパスワードとか忘れてしまって、きっといつまでも私が置いたゴミがそのまま土に還らないでいるんですよね、ごめんなさい
寧ろ、夜が明けて朝が来るなんてことに依らなくても、何か別な仕組みで「自分はここまで生きた、今度はあの段階までにこうなる見込みを立てる」みたいな目処を立てているのか。それともそんなことに煩わされずにいて、却ってそれはそれで幸せなのだろうか(※自転のない星に住む生き物の件)(2019
子供はどうしても、外から見やすいキラキラした存在にのみ夢をみてしまうけど、世の中にはそれ以上にもっと多様な存在がいてくれて大切な仕事をして人々の幸せを守り作っている、ってことを知れるようになると良いし、それによって夢は叶いやすくなるのでは
映画を観る幸せだって主演俳優だけでは成り立たないし、助演もエキストラも監督もスタッフも原作も脚本も…音楽…編集…配給会社の人達…それに電力…システム…そこに無事に人が行ける為の交通網…DVD/Blu-ray発売出来る技術…配送の仕組み…それを支えてる多くの人の立場に夢あって欲しい
多くの人が思い浮かべる、自分がこうなりたいという「夢」の内容が、人目を引くジャンルとか、称賛がオモテに出て分かりやすいカッコ良さげなものになりやすいが、もっとこう…当たり前の毎日を支える知られざる人々の働きを、なりたい夢の自分像として据えたくなるようにアピールしても良いのでは
「親に理路整然と文句や反論が言えるような子に育てる」っていうひとつのミッションも、ありなんじゃないかな…
自分を生かす(活かす)為の仕組みにはお金を払うけど、他人の創作作品にはそうそう高いお金を払えないじゃん。それがなくても生きていけるからお金の遣いどころとして優先順位低い。だからそれを超えて買う作品は、よほど凄いんだわ
つまり日頃私が「自分」と認識している自分の範囲外にも、未知の自分エリアが広がっているのかもしれない
ところでまたさっき見た夢の話に戻るけども…ネジを締める道具の形状が、この世で見たこともないようなやつだったの。そういうのがなぜこの平凡な頭の中が作り出す想像の中に出てくるの…自分の脳なのに自分じゃない感、自分じゃないなにかに乗っ取られ感…!怖い、楽しい、だから寝るのはやめられない
それか実は死後の世界は階段の途中の平坦な踊り場で、それまでの階段が険しくて疲れちゃったから、踊り場が天国みたいに感じてるけど、実際何か超面白い楽しい場所というほどのことはないのかもな
勝手な私の妄想だけど、死後の世界が天国だとか地獄だとか言うのは、遺された人間が願望で言ってるだけのような気もしてしまう。大好きな人が亡くなったら「あの人はきっと天国で楽しくやってる」ひどい人については「あれは地獄行に決まってる」みたいに、気が済む為の
バーニッシュの炎の描かれ方、というか、炎の出し方の描かれ方、がもうホントに…哀し美し…愛し悲し…あとね、あんなにものを深く考えてなさそうに見える主人公が実はあんなに、天才的なさ、人智を超えてるような答えに辿り着く話は好きだよ…(プロメア)
私は献立を考えることが面倒なんだけど、その中身として「予算オーバーしない範囲の食材と冷蔵庫の中身を上手に使い回せて、且つ、下準備も後片付けも面倒くさくなく早く出来て早く片付く、且つ、食べる人間のその日その日の体調に合わせて摂れる栄養なども考慮した」献立を考えることが面倒なんだ
彼の背負ってきた宿命というものに初めて関心を向けてくれたのがアラジン…下僕だろうが王女だろうがヒトとして見てて流石だわ…一見、世俗に塗れてそうなところに、こんなに意識が広く深く高い人がいますよねえ
姫のところに向かうアラジンのパレード、あの意味の分からない内容の大量の豪華なお土産が、めっちゃバカバカしくて大好き
美女と野獣、アニメのほうのあれ、呪い解けて変身するときの描かれ方が、もう…超絶大好きで、王子の表情とかも…大好きで、何回もリピートしたんだった
生きてた証を遠い子孫の世代に見つけて貰い「へぇ…千年前の人はこんなこと考えていたのか」とか思ってもらうよすがとして、ツイートやブログに書いたテキストデータを入れたメモリなんかを綺麗な缶に詰めて地下深く埋めたいけど地下鉄工事の人にすぐ発見され個人特定される…地下6階でも安心できない
マニュアルが分かりにくいとかも腹立つけど、自分が新人になったつもりでその説明を読むなり聞くなりした場合にどこが分かりにくいのかを理解できないという経験者の人々の頭の弱さにも腹立つことある。つくづく思う…仕事のしやすさはそこにいる人の頭の良さに依るなあ、と
ゲームが犯罪に繋がるとかいう説、無意味。私の好きな国民的アイドル二宮さんなんて1日11時間くらいゲームしてるというしイベントで難しいダンジョンをノーコンティニュークリアするほど技を極めながら芸能活動でも言わずもがなの素晴らしい活躍してることもっと報道されてもいいじゃない
つくづくアイドルのコンテンツは総合芸術だよなあ…歌詞や楽曲だけでも成り立たない、カッコ良さとかビジュアルだけでも成り立たない、あらゆる要素を駆使して見る人に多幸感を与えるエンタメの為の音響等や演出の技術も表に出ない人の働きの存在も大切だし
こんだけ技術も進んだ世だから、ヒトが簡単にできる程度の単純作業はコンピューターに取って代わられるかもしれないけど、ヒトだから気付けてケアできるニーズに気付いてケアするとか、ヒトだから感動できるものを拾って広めるとか、そういう仕事はまだまだ生き残ると思うよ
小説でもドラマでも映画でも劇でも漫画でも何でもそうだけど、フィクションの物語に眼鏡かけてるキャラが居たって特に何の事情説明も無いじゃん。自分は裸眼視力0.4なのでとか言わない。と同様に、補聴器や義足等のツールを普段使いしてるキャラを、特別な説明とか無しでスルッと登場させたら良いの
昔、まだ私が会社員に成りたてで右も左も分かんなかった頃、先輩に最も怒られたことは、私のミスでも物覚えの悪さでもなく、「仕事の区切りがつかないからといって休憩時間になったのにまだ作業を継続していたこと」だった。ありがたい
表舞台に立つ人に目や耳を集中させ夢の世界を見せるエンタメコンテンツは、なかなか縁の下の力持ちな人々の働きを詳らかにし難いところはあるね。手品の種明かしみたいになっちゃうからかな…。舞台裏の様々な仕掛けについてとか、スーツアクターさんやテーマパーク着ぐるみの中の人の苦労とか
どんどんスーパー戦隊シリーズを観せられて好きにならざるを得なくてもう…どうにでもしてくれ状態。今はシンケンジャーを履修させられている。まだ五話。だけど松坂桃李くん演じるレッド(殿)の愛と孤独が超カッコ良いから、なるほどな…と思っている(2019.4)
いま以上にもっと昔の私はバカだったけど、そのバカなりの状態だからこそ味わっていた何か…それと全く同じものはもう体感できないんだと思うとなんか懐かしくて、二度とないんだと思うと哀しくてね…(2019.4)
スーパー戦隊シリーズ、クールによってコンセプトがいろいろと違うの面白い。多彩だな…。あと、子供向けだからこそなのか、案外、人の世の不条理とそこに向かうマインドのヒントがうまく描かれてるの佳き
いつか戻るという宣言もなくてTLに現れなくなった人達のこと、いくら好きでも、私が寂しいからと言ってここにまた戻って欲しいと願ってしまうこと自体がその人々の新しい活動に水をさすことになりそうで…ここから見えない場所で生きることを楽しんでくれていたら良いなあ
アイドルが幸せであってこそ、アイドルの存在に幸せを貰えるんだから。アイドルが幸せにアイドルできるための応援ができるファンでなければならないと思う
なんとしても本人の言葉を曲げられたくないという真面目誠実さが伝わるんだよなあ、嵐さんの発信って…。
事実でないことがインターネットに遺ってしまうことによって起こる加害について、考慮して欲しい。好きなことを好きなように書いていい場という意識で勝手な思い込みを拡散されたら堪らない
当時作られ受け入れられていたストーリーを、当時の私は違和感なく観ていた。いま観て登場人物の言動に感じるモヤモヤ度は、それが作られてから今までの年月で世の中の意識そして私の意識がそれだけ変化した度を示している
自分の存在を消すことが人の為だと思いがちな文也にとって、和也のようにそもそもあんまり「自分とは…兄弟における役割とは…」とか拘ってなさそうなのに構えず自然に仲間として接してくる存在って救いになったんじゃないかな…って想像した
和也は案外、人に惚れ込んだらその相手に対して自分を投げ出せる、自分に拘らなさがあるんだな…あの暴力沙汰だって結局、兄や姉を中傷されたから怒り心頭に達してのことだし。小雪や小梅の問題に対する二人の兄の考え方も興味深い。それぞれが善と信じて行うことの光と影を並べてくるの、しんどい展開
ひとつ屋根の下を復習し。あんちゃんも浅い理解や押し付けが人を苛つかせる未熟さあるかと思うと、仏のような太っ腹な精神あるし、リアリストちい兄ちゃんの理屈も彼なりの愛と正義が見え腑に落ち、必要とされたい小雪に闇が見え、和也が意外と誰よりも文也にフラットな接し方をしてる気がしたり
あまりにも我が事のように親身になられると逆に「心配かけまい」って感じてしまっていろいろ言えなくなるんだよね、そう、子に言われて、それは私が痛いほど経験したはずなのに、やってしまって/気をつけよう…寄りかかりたくなったら寄りかかれる存在でいよう
そうだよな分かるよ…私も若い頃、親に心配かけるの嫌だと思ってたし分かり過ぎる…反省。「子供のことで私が安心したい欲」は抑えなきゃ(2019.4)
平成初期くらいのホームドラマとかをいま観ると、たとえば女の子や男の子に期待されるあれやこれなど…結婚、仕事、諸々いまとは違う当時の社会通念が分かって面白いんだけども。自分がその中を生きてきたこと思い知らされて何というか…哀しいような、よく頑張って来たなあというか
履歴書やESを手書きさせる、なんなの?家族の就活を見てた時、手書きしたものをスキャンしてネット送信指定されたり。そんな手書きに拘るなら修正液を許してくれたら良いのにと思う。手書き清書の手間で学生の貴重な時間を奪うなら企業も説明会案内やプレゼン資料を全部心込めて手書き字にすれば良い
もし子供が私に対し「心配かけたくないから悩みは言えない」と思ってるなら、心配くらいかけてよ~子供が悩みを言えないなんて辛い~と思うくせに私は、私の親には心配かけたくないから悩みは言えない…というか、悩みを私が打ち明けると生じるであろう私の親の悩みの責任をも私が負うのがしんどい
ちょっとなんか自分にとって、決まってないもの、未知なもの、があるとすぐ…心配になってしまう、だから敢えて「失敗したってそれ大したことじゃないから」と思えるような状況に喩える為に、自分に繰り返し言い聞かせる言葉「取って食われる訳じゃない」「これも何かのゲーム」
「赤の他人である一人の人間を観続けることが、私の幸せ」というサービスを、生き方を通じて提供しなければ成り立たない職業、アイドル。だからアイドルが見せまいとしているプライベートを、わざわざ引っ張り出すことや、ましてや確たる事実に基づいてもないゴシップは、営業妨害として罰するべき
アイドルファンである一般人が、何かの都合…忙しくなったり経済的に厳しくなったり他に夢中になる対象を見つけたりで、「何故たかだか一人(一集団)の他人という人間を追ってる?どうでもいいよね?」って感じたら離れてしまう。唯一人の人間を観ることに幸せを感じる仕組みを確立するのは至難、偉業
平成に変わった時との違いを実感するのは、陛下がご健在だからしんみりしなくて楽しめることもあるけど、SNSで人々の盛り上がりを見られるのも大きいなあ令和…。(2019)
今までに私が「子供向けだと思ったら侮れない…こんなに深い…光も闇もある…」と思った作品のひとつ、プリンセスチュチュ。(あと他には昔観た未来少年コナンサイボーグ009。近年はドラマ怪物くんとかもそう。そして最近観た、ルパンレンジャーVSパトレンジャーとか宇宙戦隊キュウレンジャー
そうなんだよね…生きる為の手段である仕事も、「生きること」に含まれているからなあ。食事もそうだし家事もそうなんだ
傍目で見ている私のような一般人が思いつくことや心配することなどは、既に現場のプロの人達はとうに考えていて、ちゃんとやってる…ってことばかりだと思う
キュウレンジャーはフォロイーさんの薦めてくれるまま最終回まで観…素晴らし。チームの各メンバーの背負うものや生き方を互いに尊重してるのクレバー。味方が敵に操られるなど絶望的な状況でもめちゃ強いポジティブ力。幸運とか星座とか。時空超えとか。なのに敵役は江戸幕府風味でギャップ面白い
最近この「めんどくさい夢から覚めて起きた時に、悩む必要なかったじゃん!って安心する一方で、この記憶のままで先程の夢にまた戻りたい複雑な気持ち」を楽しむという趣味にハマりかけているんだけど、やや疲れる。人生の終わりに向けて練習してるみたいなしんどさ
話は変わりますしこないだも言いましたが…私はまさかこの歳になって、今まで馬鹿にしてきたアイドル文化のみならず、特撮ヒーロー文化にまで、その良さを知らされるという人生後半まさかの出来事にときめいているので、皆さん、人生後半時間も全く侮れませんよ
いろいろな議論のこと拝見してつくづく思う。Twitterでもなんでも、現場の実情を自分は知らない分野について、気軽に議論に参加していく勇気?っていうかそのスタンスの、ハードルの低さ、なかなか凄いな
各人の視野に入る一番極端でアレな例を上げて人が怒る、それに対し、極端でもアレでもない真面目な人が心をいためる、そういうのホントどうにかなんないか
偏見をもとに何かを闇雲に否定する人のせいで、冷静に分析しようとする人まで割を食う、とか、何かをザッと見の印象だけで否定する人に対抗する言葉に追加される何かを絡めて語られるその追加部分に賛同したい人が、元の議論の複雑さを置いてきぼりにしてそこだけ拡大する、…などが起こっている印象
まあ何にせよ何かを批評する人の中には、それをよく知った上でだからこうしたほうがより良いという観点で批評する人と、それをろくに知らないでイメージだけでなんかかんか文句言う人とが、ごちゃっと混ざってやって来るから面倒なんだよな~
あの頃、近所の園児がセーラームーンなりきりセットを着て遊んでるのを微笑ましく見ていたなあ。20年以上年経ってフォロイーさんがセラムン考察するのをスマホで読む未来など想像もしてなかった
これほど物事はあっちから見ればこんな色だったのにこっちから見ればこんな色なんだ
わたおじ7話まで観たらもう…ヤッテミーに関わる人達全てを愛してしまった私!で、ここで改めて1話を振り返ると、あれほど主人公が酷い目に遭っているように感じてたのに、今や主人公の落ち度がよく分かる。入社する職場のこと調査確認しなさ過ぎ。入社当日の流れ知らなさ過ぎるし、思い込みに頼り過
だんだん彼らの我欲が削ぎ落とされて人良かれになっていくあの終盤の戦い方がホント好き/あの本編ラストで例の空間に居た三人にしても、とことん我欲がなくて、ただただ…もうね尊い。あの境地になっていけたらいいな私も歳とっても(ルパパト)
脚本もすごく好き。個人の愛と公共の幸福との擦り合わせとか、正義に辿り着くための葛藤とか、人には各々個々人の歴史があってそれが行動を形作るが相互作用で変わっていけるとか、また、悪役にも個性や感情が豊かにあるし。最終回のあらゆる「反転」が天才(ルパンレンジャーVSパトレンジャー)
乗物好きも可愛いもの好きもアクション好きもナンセンスギャグ好きも満足させる多要素てんこ盛り。(ルパンレンジャーVSパトレンジャー)
キャラ設定のバランスも絶妙うまいなあって思った。警察側に男まさりな女性を配置し快盗側に可愛らしい十代女子を入れるのとか。警察活動の人達の目的と怪盗の人達の正義とが噛み合わない頃からも結果的にことがうまく運んだ筋、この世の理のひとつの形って感じで
(ルパンレンジャーVSパトレンジャー)敵味方はっきりしないところから始まって段々と協力関係に到るまでの両チームメンの人間模様とか、ひとつの話に必ず両チームの見せ場が来るようなグッドストライカーの働き、合体ロボの要素もラブコメ要素もある特撮ヒーロー物
変身アイテム等の玩具をとても魅力的に見せるバトルシーン、ルパパト両チームの各衣裳デザインや行動パターンとか個性それぞれあったり、敵陣営のファッションもなかなかカッコ良かったり…こんなことになってるんだなあ久々にレンジャーシリーズちゃんと観たけどすごくすごいね
海を見て!うん!海を見る!の二人もめちゃんこ良かった未来少年コナン
二十年間も人を疑うのがサバイバル鉄則になっていたモンスリーが、あのコナンの態度を見て「本当なのね…」で本来の自分の中にあった何かを取り戻すと同時に放心状態になってる、価値観劇的転回し始めて敗北感だけじゃ説明つかない感情に飲まれてるモンスリーを、意外な方向からスッと助ける殿方
ハイハーバーの沿岸で瞬時に彼女を片手で抱えて走るダイス、いま思うとすごく…あとね、ギガント回で刺さったフライングマシン押し出る直前にあの子をひょいと抱えて乗せるコナン…あの男のひとたちの、女のひとに対する咄嗟の判断と行動が私は好き
人類が生活を効率化していく研究努力のお蔭で生存維持以外の精神活動に時間を使えるようになったの薪割りしなくても湯加減見張ってなくても適温のお風呂にいつでも入れるから好きな人や好きなものに向かう時間も増えてガスや電気ありがとう…そういう仕組み嬉しい。冷凍食品もPASMOも好き
人類が生活を効率化していく研究努力のお蔭で生存維持以外の精神活動に時間を使えるようになったの私は割と好き。推せる。
ボードゲームの紙幣ってあくまでもゲーム内でプレイの自由度を高めるアイテムであって、ゲーム終わったらもう用はなくてそれだけ持ってても仕方ない。生きてる間の財産もそんな感じか…だけど違うのは、終わったあとに手持ち紙幣が回収されず次の特定のプレイヤーに渡せてしまうことかな
今は…そんなやる気のある説はめんどくさいな。今世も来世も授業だ、とか、死後も休み時間だから反省タイムだとか…そんなきっちりしたものじゃないゆるゆるしてとらえどころのないものの中に融けて起きてるか寝てるか分かんないほうがいいな
何年か前の私は、この人生という授業と来世という授業の間に都度、休み時間が存在して学びを振り返る暇があるのだろう…という説を保持していたことがある。
こういう夢で目が覚めるたびにまた、この世から覚めたらどんなスタンスでこの人生を振り返って次に行く(あるいは行かない)んだろうか…と想像するところまでが近年の私のセット
お金があったら人生を外注に回したいとは言いましたが…美味しいところだけは私がやるので宜しく/そっか、どの部分を外注に出したいか、どれを自分で味わいたいか、が人によってそれぞれ違うから成り立ってるのか
息子と娘のそれぞれの学生時代がそれぞれ過ぎて、同じ家に生まれて同じ親に育てられようがとにかく、ヒトはそれぞれ違うものに惹かれ違うものに影響され違う種を心に蒔かれてそれぞれの道を歩くことになってるんだな…と当たり前のことにしみじみする
人と合って喋ること自体もつらいと思う気持ちの推移、他人から見たら大したことないと思われる事項への挑戦…これ自体を何かにいつか活かせるネタとしてネタ帳にためて行けたらいいのにな
自分が「きっと一生このジャンルにハマることはないだろう」と決めていたものに、突然ハマることってあるんですよね。そのきっかけになる要素を語ってくれている言葉を読むのって私は好きです
子供をみながら仕事することの大変さを可視化できるから良い、という声も見かけたけど。可視化しなくたって想像できるように世の中なって欲しいな…自分の意志ではどうしようもない存在(乳幼児の生理心理)を優先しなきゃいけない場面で仕事なんてしてる場合じゃないので
何かを自分の中で「危険物」認定してしまったら、もう僅かでも排除したくて仕方がない人々が、いくら厳しい検査を通っていてもそれを忌み嫌って風評被害を拡めたんだなあ
躾とひとくくりにされていたアレとかアレとかを、パワハラだと認識するのは大事だと思った
その度になんだかやりきれない気持ちになったりする。今日はまたなぜこの話を蒸し返したかというと、「神様なぜ冬を作ったんだろう」っていうから、何も考えず斜めに倒したら結果面白いことになったからこのまま季節の変化あるようにしておこうってなったんじゃないのか、と
また今日の議題、地球外生命体との外交が恐いってことだった。向こうさんがウチの星より意識レベルが高過ぎると、こんな…内輪揉めしてるようなウチらなど付き合う資格なさそうだし野蛮だと思われていそうだし、逆に向こうが昔の植民地支配時代の列強っぽい星だったらウチ達が奴隷にされそうで恐いし
自分の好きな商品やサービス、誰かに広めたいもの、世の中にあって欲しいと思った事項、を覚えておき、それを提供してる会社を志望企業にするのが、就職してもその会社の世の中に対する姿勢と自分のポリシーが大体合うだろうからお薦め…といったことを就活談義でしたことがある
バラエティ番組は、もっと幸せな笑いを届けて欲しい。誰もいやな気分にならないような心から手離しで笑えるような企画が欲しいな。人が嫌がる様子を観て笑う気持ちにならないんだよ…
険しい道や遠い場所、アクセスしにくい地形にある、パワースポットとか神社とか、ご利益あるっていう話はさあ、そんな行きにくいとこにあるとこに行こうというメンタルなりフィジカルなりの強さがあればまあ大抵のことはなんとか乗り越えるでしょうということなんじゃなかろうか
そうですね…「あなたの為に生きてきた」みたいなことのあとに大抵は「だからあなたは私の満足のために生きてもらおう」ってなるんだろう
私の中にも、たくさんのフィクション登場人物が住む区画がいろいろとある…。
セーラームーンミュージカル関連のCDを家族と聴いていて思ったこと。悪役の出す低い声と高い声って惹かれる。低い声はモノを考えていそう、何かを強く思いつめていそう(悪巧みも、恨みも)甲高い声は正気を失っていそう(愚かしさとか)低い声高い声いい感じに混ざると複雑なキャラ表せそう
昔々の今よりもっと未熟な社会だと、病や老いや生まれや不運などで差別される側に回った人間のことなど構えないほどに、強い側も生存だけで精一杯だったんだろう、けど今は弱い立場にも安心して身を置ける社会を目指せるように折角なってきた人類なら、本能をなんとかして抑えられる余裕生む何かが大事
ところでドラマ「手紙」でも言ってたけど、差別って本能だという…そうだね、無くすの難しい。誰しも面倒なこと忌まわしいことに関わりたくない気持ちあるから。これに限らず、本能そのままだと良い人間社会を作れないし制御しきれないのは恥ずかしいことで「本能だからいいじゃん」ではないのだった
来世がないってほうが心を安らかにして逝けそうな気がしてきた。以前はそうは思わなかった…今世叶わないこともいつか叶うかもと思えば気楽に逝けそうとか思ってた。けど…来世って怖くない?どんな人間のいるところにどんな生き物として生まれるか分かったもんじゃないというのは
極端なんだよね…何かが身体に良いとか悪いとか決めるとすぐ、そればかり摂ったり、逆に1ミリでも身体に入れまいとしたりするのって…分量匙加減次第で毒にも薬にもなるのに
スネイプ少年のあの頃のこと思うと叫びたくなるな…人の作ったお話の中の人の一生に思いを馳せるだけでこの異国の自分が叫びたくなるんだよ…人間って何なん
ところで、ふと、自分のその時その時に夢中になったもののこと、生活のなかで思い返したとき、いったい何の役に立ってたんだとか、あれやこれの時間に何か意味あるのかとか考えてしまう瞬間もあるっちゃある。けど。意味分からない楽しみの為にこの人生があったっていいんじゃないかな、とも思う
夫や子供とも、もういっそTwitterの相互フォロー繋がりだけになってしまいたいことってある。言葉から伺える心だけ分かり合える程度の距離感で互いに好きでいたい。…などと、ひとつ屋根の下にいる面倒くささのあまりに思う。直に声を聴けて顔を見られる幸せを時々忘れるバチ当たりな自分がいる
主演目当てに観始めたけど話も良いし僕坂もドロ刑も登場人物がみんなキャラ魅力的に演じられてる好きだ…この世に遺したいやつだ。なかなかリアタイで観られないから録画だけども(2018)
医療不信な人にしても、電気嫌い自然大好きな人にしても、自分がどうやってこの世で今まで生きてこられたか考えてみてと思う。皆が凄く努力してこの人間っていう元々不自然な生き物が生きていけるように知恵を積み上げ繋いだ人工物のお蔭で狂犬病にも破傷風にもかからず長生き出来てネットとか使えてる
ゆりちゃんも言ってたけど、一人が全てを深く味わうのは無理で、私が知らない人生を誰かが知り、誰かが知らない人生を私が知ってる、ということで成り立ってる世だから良いんだね、ホント、そうだね(逃げ恥のあの回)
何の為なんだろうと考え出すと、何もかも何の意味も無いように思えてホント生きるのめんどくさい。昨日とたいして変わらないことを繰り返していつのまにか冬…家事が嫌いなんだ元々。ただ何かを延々と考えるだけの存在になりたい。でも身体で生きて雑事をやらないと、意味のある考えも出てこない
「意味なんかないさ 暮らしがあるだけ」という、星野源さんの「恋」の歌詞が今とても好きでありつつ刺さってる。ドラマの中の平匡さんの言う、面倒なことを避けていたら息をするのも面倒になる、死に近づく(趣旨)も合わせて響いている。昔から今までこれからも多分、日常の雑事を蔑ろにしがちな私に
つくづく分かったんだけど「恥ずかしさで顔を両手で覆ってしまう男の人」が!私は!好き過ぎ!
2階ベランダで洗濯物を干してる時に、家の前の通りにて井戸端会議している人同士の会話っていうのは、案外聴こえてしまってるものなんですよ
避妊手術しないことのほうがよほど可哀想だ。彼らの健康的な生に最後まで責任持てないまま餌だけやってるのも可哀想。結果的にそれが殺処分をなくせない原因になってると思う
出産直後に見た夢が、自分史上最も言葉にできない感覚の夢で、でも頑張って言語化するとしたら、四角いブラックホールがもしあるならこれだ!という図形と自分の身体が同化するような感じだった。もう二度と味わえないレア物の感覚なのかと思うと…なんか…
お見かけしたツイートについているリプライを読むということをする度に思うことだが、twitterで何かの議論がなされているらしい時、その元々の会話や出来事をほとんど知らないままに、派生した意見感想たちが私の心に覚えられていくものであるなあ
祈ったから祈らなかったからといって特に彼らの調子や合否を左右したとは、今思うとよく分からないけど。祈ったこと(あるいは、祈れたこと)による、サポート側である自分のメンタルに影響する何かが存在するように思う
祈りの内容は大抵、体調等普通で事件事故もなくありのままの彼らの実力が出せて悔いなく、そして彼らの幸せにとって有効な結果ですように…そして祈ってるうちに心が整理されるというか、帰宅した彼らにどんな言葉を掛けようか(あるいは掛けないでおくか)がある程度決まってくる気がした
色彩、ただ光の波長がちょっと違うだけとかでしょう。なのに、なんでこんなに「うわあ綺麗」って感じる仕組みになってんの?