おっさんずラブを思い出しながら映画『受け入れて』の作者さんのツイートを読みながらTLを読みながらいつのまにか私の胸によぎっていた相互理解のことや同性間の恋愛物語に思ったことなど

異性が繰り広げる恋愛物を、どちらかというと私は同性同士の物語よりも好みだと思って常日頃観てる。出逢う二人の性格や体格や視野、生きる世界が違えば違うほど、のちに二人が互いを通して新しい何かを知る、そういうのがより私の好みに合うからであり、異性愛が優れてると考えているわけではなかった

それと自分が異性を好きになる傾向が強いから(同性を好きになることもあったけど)、異性愛の作品のほうが感情移入しやすいということもあるかも

でもテレビでおっさんずラブを観てたとき、私のような「異性同士のラブストーリーのほうが好きなんだけどな〜」と思っていた者にも、めっちゃ面白かった。人と人はみんな感覚も考え方もすっごく違うし、恋愛を通じてその違いにぶつかって受け入れてく過程をヤキモキしながら観るのが結局好き

異性間の感覚のズレ、同性間の感覚のズレ、同性カップルとその親世代の感覚のズレ、等々を乗り越える人達の物語をフィクションで観る時、私などが感情移入しやすいかどうかは、私の中にある「幸せのサンプル事例」がどの位あるかに左右されていたから

私の親世代の目と頭に馴染みやすくわかりやすいであろう「男女が結ばれて、血の繋がった子孫を産み育てる生き方によって、発生する苦労と幸福」…これが突出して世のメジャー、このパターンのハッピーエンドが世に多くある。でももっとこれ以外の色々な幸せの形がどんどん沢山出て来たほうが良いと思う

「男女が血の繋がった子孫を産み育てる」以外の生き方、幸せの事例、を世に増やすには、そのどんな生き方でも不利にならないような世の中の仕組み、行政のありかた、が大きく関わってくる。行政は多数決で成り立ってる。多数の人々が、色々な幸せの形を知って肯定することで、それは可能になると思う

貴田明日香さんの映画『受け入れて』も観たいです。
https://t.co/drtW16BqrE

※2020年6月に観ることができた。
私の感想ツイートまとめページ

https://mottiii.hatenadiary.org/entry/2020/06/30/100024



ところで、お腹を痛めて産んだ子だから可愛いとかいう説、デマだと思う。私の身近には実の親から虐待されていた人もいれば、血の繋がらない子を心から尊重し愛した人もいるのでつまり、血なんてホント関係ない。自分と違う人間とどういう向き合いを続けていたかの積み重ねだから

他人との相互理解を諦めていても、殊、家族(特に親子)間となると、分からなさや分かられなさをなんとかスッキリさせようと躍起になりがちな人(ともすると私も)が多い気がしてしまう。その分からなさ分かられなさをスッキリさせようとする情熱がまた、家族の悩みを増やすケース、多々ある

親をスッキリと理解させてあげることより、自分は自分のことを優先していくように、私が理解できようができまいが気にしないように生きてね…?とか、我が子に思うんだけど、そもそも本気で、私が理解できようができまいが気にしないように生きられるように育ててあげられていただろうか?自信ない…