年末から年始にかけての、人生について思い巡らせた自分の呟き

年末から年始にかけての、人生について思い巡らせた自分の呟き(@komisokabot2)抜粋まとめ。(誤字訂正有)

☆好きなことをやるためのお金と時間を手にいれて好きなことをやりたいし、好きなひとが好きなことをできてしている様子をみて安らぎたい。幸せを見て幸せでいたい。毎日毎年、主な抱負がこれしかない

☆私の言動に揺れて心すごく悩んでくれちゃう人より、私が何をどうしようが悩まない人、のほうが私は一緒にいて気楽なのかもしれない

☆年末年始の家族の連休って、主婦にとっては・普段より要求される家事が多いしハレの気分の演出という仕事が加わる・下手したら自分自身もハレっぽさを要求される・親族の問題と向き合わされる・観たい番組が色々出てくるが一人でゆっくり観られない場合が多い・何かとお金がかかる

☆年越しの瞬間はたぶんここに来られないかまたはネットが落ちてるおそれもあるので、今のうちに言うけど、こんなわけわからないアカウントをフォローまたはリスインして頂きありがとうございます。勝手なこと言ってる割に、見守って貰えて安心しています。来年ももしご縁があったら宜しく幸あれです

☆あけましておめでとうございます。忝ないです。今年も宜しくお願いいたします、具体的には、いつものように、存在して頂けたら有り難いです。こうして、おめでとうが言えるのが本当にどうもありがとうです。なお今年はうるう年なので、好きな気持ちも一日多いの、お徳感があります…幸あれです☆

☆いつも元旦の夜の夢があまりにも漠然としてるのは、元日にお酒を飲んでしまうからなのかもしれない。弱いのに好き、好きなのに弱い

☆唐突だけど、身近に妊婦さんや新米ママさんがいる人(特に、奥様やお嫁さんや親戚の方)は、普段の百倍、優しくしてあげてね。出産~乳児育ての時期、心が千々にみだれたり世界一孤独だったり生きるの辞めたくなったりするガラスのハートどころかパリパリ海苔ほど脆い精神だからこの時刺さった刺は一生

☆なんだっけ。…そう。私にとって(よい意味でもそうでない意味でも)めちゃめちゃ存在感と影響力の大きかった故人を偲んだ今日この頃なんだけども。人ってホント生きて死ぬ間に関わる人々の(心のなかっていうより命、生の)中にもガッツリ増殖しているんだ。

☆何かするたび、思うたび、「これを彼女が知ったらどう思う?」と、真っ先に脳裏に浮かぶ、そんな存在だった。私にとって彼女はそういう存在だった。ということとは別に、彼女には彼女の人生がこの世に歴然と存在していた。

☆どう生きるのが正解、とかそういうの無い。こういうふうに生きたい、という気持ちがある。こう生きたら気が楽だろうな、というのはある。こう生きたら生きた意味があるような気がする、というのがある。それらでなければ間違いというわけではなく

☆お金がたくさんあったら何もかも解決しそうなのでお金降ってきてほしい。そう考えるそばから、お金で解決するような問題には惹かれないような自分も同時に居る

☆ネットやTVで好きなひとができた私の近年、自分が求婚されるか否かなど全く気にしなくて済むし性別も年齢もどうでもいい、ただただ、好きでいさせてくれる存在を見つけられた近年、めっちゃ幸せ。好きなひとには伝われば嬉しいのは「好きでいさせてくれているだけで私を幸せにしてくれてありがとう」

☆そしてリアルな生活の中でもこういった、ただただ好きでいさせてくれる人のことだけを、ただただ、好きでいるだけの気持ち、これしかもう持つ余地がない。それを改めて確認した

☆もしかしてこれって私が貰ういっぽうの愛なんだろうか、そうだなあ

以下、後日追記:

☆神様、好きなひとが幸せを感じられる状態をありがとうございます。この調子でこれからも宜しくお願いいたします

☆うん。死後、裁きにあう、なんて思わない。私も。天国に行くための準備段階なんて設定しなくても、自分の人生を生ききったらそれで既に合格だと思った。そのあとは遺った人の人生の中に融合していく(はっきりと誰と形跡も判らない形で融けて生きてく)のであればそれ、楽しみだ、

☆とフォロワーさんの言葉を読んでつくづく幸せに思った。あと、迷い悩み苦しむこともそれも全て受容されてる、ってこともイイネ!(お昼を娘と外で食べることにしたものの、どこにしようか迷ってる)(2016.1)

☆そうなんですよね…。これ前にも呟いたかもしれないけど、私がお店に入ってどのメニューにするか迷うときって、大抵は「このお店にまた何回も来られるなら今どれに決めても後悔しないし隣の芝生も青くないけど、ここに二度と来られないなら、選ばなかったほうも食べたかったと思ってしまいそう」=人生