前を歩くひとの視界を想像しながら拾う、蒔いたり蒔かれたりしてる、ついった面白い

ついったでフォローしている人々が私の前を歩いてる。
その人々のそれぞれの目前の視界に何が映っているのかは、後ろにいる私には、わからないけど想像するしかない。
何かを見て呟かれた言葉を私は拾い自分の箱の中にしまって拝読しながら。
その言葉を見ながら、前を歩くひとの視界がどんなものなのかを想像しきれないけれど、する。
私の視界とはきっと全然違う配色かもしれないし似てる配色かもしれない。
その想像したものも含めた私の視界と、この心身のコンディションの化学反応で、私も何か呟きたくなってそれを後ろに残していく、
それを私の後ろから来たフォロワーさんがもしかしたら拾ってくれて、もしかしたらフォロワーさんの箱に残るかもしれないし残らないかもしれないけど
後ろを歩くひとはそのひとなりの化学反応をやってまた別な呟きを、リアルタイムまたは時間差でいつか呟いて
そのまた後ろを歩くひとたちにまた別の配色を想起させる反応が連鎖してく。

で、相互フォローの面白いところは、
前を歩くひとの視界の中に自分の背中と自分の呟きまでも何割か映り込むかもしれないこと。
つまり私が見ているひとの、推し量りきれないけど想像する視界の中に、自分の化学反応の結果呟いたものまで配合されてる可能性があるということ。

予期しない誰かの心に種を蒔いてるし、蒔かれてるし、そういう意味でタンパク質とか炭水化物とかじゃないのに生殖活動かもしれない。
その及ぼす範囲広さや濃さは、調節しようと思えば自分次第で調節してしまえるはずなのに、ともするともうなんだか自分でコントロールできないような流れの中を流れているかのように思えて
それが、自分の心身のコンディションが良ければ余計に面白くなってくるので、

誰だろう、こんな面白く切ない仕組みを作り上げた人は。いったいぜんたい何者なんですか何してくれちゃってるんですか。

だから、早寝早起き、実生活の優先順位を考えた距離感でのついった活動をお薦めしたいけれど、各自の自己責任で行きましょう>自分に言い聞かせる。