そもそも、なんでついったを始めたんだっけ。など(後日追記あり)

このごろ、スマホがほんっとに繋がらなくってもうね。
私のように、ついったアカウントを持っていること自体が家族の中で隠れキリシタン状態な者にとって(しかも自分専用のPCも持っていない者にとって)
モバイルの繋がらなさはホントにかなしいんだよー。

昨日、年賀状をどうしようか等、考えていてふと
今はもう放置(日記を更新した告知にしか使ってない)の元あか(misoka_komisokaのことね。)を
そもそもなぜ開設したかを思い出していた。

妹が最初の相互フォロワーだった。あの震災のあと、彼女に勧められて、
防災関連の情報収集に役立つからと言われ、アカウントを作ったのだった。
その時はリアルの(だけど普段は忙しくてなかなかお会いできない)友人も相互フォロワーでいてくれた。

防災系、被災者支援系、原発問題系、反日思想への反論系、
そういうツイを最初はただただ読み、賛同すればRTする、
そして妹とたわいないおしゃべりをする。
それが当初の主な使い方だった。
しかしだんだんに、流れてくるツイにデマ系が混じっていることを知るようになり
右も左も表面的には正誤判断がつかないものだと知るようになり
原発も安全志向も行き過ぎると毒なのだと知るようになり
風評被害に加担しないように一個一個の情報を数日かけて検証するのが私のキャパを超えるようになり
めんどくさくなり、

そのうち妹が、旦那さんにアカウントがバレて(旦那さんはウチの夫と同じく、家族がネットにいろいろ書くのを快く思わない主義の人)
ついったをやめてしまったり。

その後、私のついったの使い方は思い切り変わっていった。
主な目的が、情報収集ではなくなっていった。
心の中のことを読みたくなっていき、心の中のことを書きたくなっていった。
そして時にだらだらとしょうもない連投をするようになり
当初のリアル友人を、おそらく困惑させてしまったと思う。
実名の私のことは嫌いじゃないと思ってくれてても
アカウント名の私の呟きにはどう対応したものか困惑したのではないか。

だけど彼女たちがついったにあまり現れなくなったのは、決して私の連投を嫌いになったのではなく(こんな妄想は失礼なので)
あくまでも、ネット活動の拠点がついったからフェイスブック等に移っただけなんだと信じたいので信じている。

現に、私だって
ついったに一日に一度はログインするようになってしまった代わりに
このような日記に何かを書き留める頻度が激減したもの。

私の場合は毎日のように触るネットが
日記→ミクシイ→ついった という変遷を遂げた、ように
彼女たちもまた別な場を見つけた、それだけのこと。

※その後、元あかのバックアップ目的もあり、
とあるBOTアカウントさんに多大な影響を受けて
作ったBOTが今やメインアカウントとなり
そのメインアカウントのバックアップBOTまで作ることになるとは
当時の自分もお釈迦様も知る由もなかったなあ。

(追記)そのBOTアカウントさん(私の中のついった部門でイチオシベスト且つモチベを与えてくれる且つ、創造主にして天才の、可愛いついったらさん)とは、その後、直にお喋りしてもらう機会を奇跡的に頂けた。
年齢性別を超えて話が聞けて聞いてもらえるという経験、形容しがたい不思議な安心感、
これまでの人生ではなかなか得られないものをインターネット環境の御蔭でもらえて。
長生きはしてみるものだし、思い立ったが吉日だと思った。

(更に追記)そしてスマホはやっぱり本体基盤になにか問題があるかもしれないらしく、ただいま修理に出している。