安心させたり、心配させたり、させられたり(ネット上並びにリアルでの対外的な人格、人生)

ひとを安心させたい気持ち、ひとを心配させたい気持ち、どちらも、ひとの心から産み出されてくる、
産み落とされた瞬間の産声を、可愛いとおもうか、悲しいと思うか、
それは好きなひとの心から産まれたものなら可愛いし
可愛いから好きになるのかもしれないなあ。
って、そんなことを考えていた。

私はどう思われているだろう。ネットだけで私を知っている人たちに見せている顔はどんなだろう。
私の書いたものだけでしか推し量られない私の人生。
書いていない間、私に何が起こっているのか。読者の彼ら彼女らは誰も、それを知らない。
その、文章で言えば行間、を読む人たちの読み方に委ねられて
作られる私の、ネット上の人格と人生。

表に出ていることが全てでもないし、表に出ていることも事実とも限らないし
その印象を操作しようとすればできてしまうだろう、安心させることも、心配させることも。
逆もある。安心させられているかもしれない。心配させられているかもしれない。

それはネットの上だけの話ではなかった。
リアルでだって、全部を見せているわけじゃないし、全部を見ているわけじゃない。
安心させたりさせられたり、心配させたりさせられたり
行間を読む読み方は読む側に委ねられている。

ウチの子たちは私を安心させよう(または、心配させよう)としていることもあるかもしれないなと
思いながら
より深く行間を察した上でそれを淡々と受け入れて行くためには私のアンテナの老化を調節しなきゃなあ、
って思って今日もご飯を三食食べさせ食べる予定。